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対イタリア講和条約 たいイタリアこうわじょうやくPeace Treaty for Italy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

対イタリア講和条約
たいイタリアこうわじょうやく
Peace Treaty for Italy

1947年パリで締結された第2次世界大戦講和条約のうちイタリアを対象としたもの。イタリアは 1943年7月 B.ムッソリーニのファシスト政権が倒れて枢軸国側から脱落,9月3日連合国と休戦協定を締結したあと,10月 13日にはドイツに宣戦した。しかし,従来の敵国との講和問題は,第2次世界大戦後アメリカ,イギリス,フランス,ソ連4ヵ国の外相理事会で検討され,47年2月 10日にパリで講和条約が 21ヵ国の代表によって署名され,同年9月 15日に発効した。条約は前文のほか第1編から第 11編にいたる本文 90ヵ条と付属書 17から成り,イタリアは陸・海・空軍のそれぞれにつき制限を受けることとなった。しかしイタリアが 49年4月に北大西洋条約機構 NATOの原加盟国となったため,必然的に軍備条項の修正の必要が生じ,このためイタリアは 51年 12月に講和条約の改定を要求,イギリス,アメリカ,フランスなど西欧8ヵ国はこれに同意したが,ソ連は同意しなかった。そこでイタリアは,52年2月ソ連が講和条約前文の規定にかかわらず5回にわたりイタリアの国連加入に拒否権を行使したことを理由に,ソ連に対してはもはや講和条約上の義務を負わない旨を通告した。また,同条約で国境の変更が行われ,トリエステ地域については当初「トリエステ自由地域」の設立が構想されたが,関係国の利害が一致せず,54年 10月のロンドン協定でイタリアとユーゴスラビアに分割されることが決定,イタリアは部分的に失地を回復した。北アフリカの属領リビア,エリトリア,イタリア領ソマリアに関する一切の権利は失われ,52年9月エリトリアはエチオピアと連邦を結成,またリビアは 51年 11月,ソマリアは 60年7月にそれぞれ独立し,国連に加入した。

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