国家行政組織法は,通例,二つの意義を区別して論じられる。まず,実質的意義においては,国家行政を担当する国の固有の行政機関の組織を規律する法を総称し,具体的には,内閣およびその補助部局を規律する内閣法(1947公布),会計検査院法(1947公布),内閣の統轄の下にある行政組織を規律する国家行政組織法(形式的意義)および各省庁設置法(例,自治省設置法),人事院を規律する国家公務員法(1947公布)などからなる。これに対して,形式的意義においては,〈国家行政組織法〉と題する法律のみを指す。以下,後者を概観する。
国家行政組織法は,明治憲法下の各省官制通則(1893公布の勅令)の現行憲法施行による廃止,それに代わる暫定法としての行政官庁法(1947公布)の制定を経て,1948年7月10日に公布,翌年6月1日に施行された。同法は,内閣の統轄の下における行政機関の組織の基準を定め,もって国の行政事務の能率的な遂行のために必要な国家行政組織を整えることを目的とし(1条),明確な範囲の所掌事務と権限を有する行政機関全体による系統的構成(分配と結合の原理)および行政機関相互間の連絡と一体としての行政機能の発揮(調整の原理)を組織構成原理として要請している(2条)。
同法の特色は,第1に,〈規格法または基準法〉としての性格にあり,第一次的・基礎的行政機関としての府省・委員会および庁からそれらの内部部局としての局部課室に至るまで,内閣の統轄下の行政機関の種類・名称および部局間の関係を形式的に統一・規格化し,かつ,行政機関の設置・廃止,所掌事務・権限などを具体的に規律する各省庁設置法などの準拠すべき組織基準を定めている。第2は,行政組織を規律する法形式の問題である。明治憲法下では,行政組織の規律は,一般に天皇の官制大権(10条)および行政府の固有かつ独立の行政組織権に基づき,原則として勅令事項(各省官制通則および各省官制)とされていたが,現行憲法下では,国民主権主義と国会の〈唯一の立法機関〉性(41条)に基づき,前述の官制大権と行政組織権が否定された。国家行政組織法は,この趣旨をうけて,従来,行政組織の国会による民主的統制と国民に対する公開を目的として,〈行政組織法定主義の原則〉を採用し,府省・委員会および庁の設置・廃止,所掌事務の範囲・権限,官房・局部の設置と所掌事務の範囲,審議会・地方支分部局の設置などを原則として法律事項(各省庁設置法)としてきた。しかし,この原則に対しては,行政組織・運営の機動化,弾力化,効率化などを理由として,政令への移管=組織編成における行政府の裁量権の拡大の要請が,繰返し主張されてきた。そして最近の第2次臨時行政調査会答申に基づく行政改革実施のための国家行政組織法改正(1983公布。84年7月1日施行)により,一方で,官房・局部の設置と所掌事務の範囲を政令事項とし,また,審議会などの設置を政令でもできるとするなど,前述の法定主義の原則が緩和され,他方で,局部などの新設・廃止などについての政府の国会への報告義務や当分の間の官房・局の総数の最高限度の規制など,国会の行政府に対する統制方法が規定されることとなった。
→行政組織
執筆者:間田 穆
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(新藤宗幸 千葉大学法経学部教授 / 2007年)
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形式的には、1948年(昭和23)に、行政官庁法にかわって、内閣統轄のもとの行政機関、その長、長の権限、職員の定員など、国の行政機関の組織の基準を定めた法律(昭和23年法律120号)として制定されたものをいい、全文25か条からなる。実質的には、国の各行政機関の設置・組織・権限に関する法の全体をいう。これらの定めは、明治憲法時代は天皇の官制大権によって勅令の形で定められていたが、日本国憲法のもとでは、その基本的な定めは法律によらなければならないとされて、国家行政組織法のほか、内閣法、会計検査院法、国家公務員法(人事院)および各府省設置法などが制定されている。
[池田政章]
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