小山松吉(読み)コヤマ マツキチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小山松吉」の解説

小山 松吉
コヤマ マツキチ


肩書
法相,検事総長,法政大学総長

旧名・旧姓
旧姓=高橋

生年月日
明治2年9月28日

出生地
茨城県水戸

学歴
独逸協会学校専修科〔明治25年〕卒

学位
法学博士〔昭和15年〕

経歴
明治26年司法官試補、29年検事、熊本、長崎、東京勤務。34年判事に転じ、長崎地方裁判所判事、同控訴院判事、同地裁部長。39年再び検事となり東京控訴院検事、神戸地方裁判所検事正、長崎控訴院検事長、大審院検事を経て大正10年判検事登用試験弁護士試験各委員長、13年検事総長に就任、以来在職8年に及ぶ。この間大逆事件朴烈虎ノ門事件などを扱った。昭和7年斎藤実内閣の法相、8年司法赤化事件で辞表を提出するが天皇沙汰で留任。9年勅選貴院議員、9〜17年法政大学総長。著書に「刑事訴訟法提要」。

没年月日
昭和23年3月27日

家族
孫=山下 洋輔(ジャズピアニスト)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「小山松吉」の解説

小山 松吉
コヤマ マツキチ

大正・昭和期の司法官 法相;検事総長;法政大学総長。



生年
明治2年9月28日(1869年)

没年
昭和23(1948)年3月27日

出生地
茨城県水戸

旧姓(旧名)
高橋

学歴〔年〕
独逸協会学校専修科〔明治25年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔昭和15年〕

経歴
明治26年司法官試補、29年検事、熊本、長崎、東京勤務。34年判事に転じ、長崎地方裁判所判事、同控訴院判事、同地裁部長。39年再び検事となり東京控訴院検事、神戸地方裁判所検事正、長崎控訴院検事長、大審院検事を経て大正10年判検事登用試験弁護士試験各委員長、13年検事総長に就任、以来在職8年に及ぶ。この間大逆事件、朴烈、虎ノ門事件などを扱った。昭和7年斎藤実内閣の法相、8年司法赤化事件で辞表を提出するが天皇沙汰で留任。9年勅選貴院議員、9〜17年法政大学総長。著書に「刑事訴訟法提要」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小山松吉」の意味・わかりやすい解説

小山松吉
こやままつきち

[生]明治2(1869).9.28. 茨城
[没]1948.3.27. 東京
司法官僚。独逸協会学校を卒業後,長崎地方裁判所判事,同控訴院判事,同地裁部長,東京控訴院検事,神戸地裁検事正,長崎控訴院検事などを経て 1917年に大審院検事となった。その後,24年鈴木喜三郎のあとをうけて検事総長に就任,32年には斎藤内閣の司法相となったが,赤化判事事件に遭遇。 34年司法相辞任後,貴族院議員に勅選され,法政大学総長などをつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小山松吉」の解説

小山松吉 こやま-まつきち

1869-1948 明治-昭和時代前期の司法官,政治家
明治2年9月28日生まれ。大審院検事などをへて大正13年検事総長。大逆事件,三・一五事件などおおくの思想事件を手がけた。昭和7年斎藤内閣の法相。9年法大総長。貴族院議員。昭和23年3月27日死去。80歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。独逸学(ドイツがく)協会学校(現独協大)卒。旧姓は高瀬。著作に「刑事訴訟法提要」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小山松吉」の解説

小山 松吉 (こやま まつきち)

生年月日:1869年9月28日
大正時代;昭和時代の官僚。貴族院議員;法政大学総長
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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