デジタル大辞泉
「小島祐馬」の意味・読み・例文・類語
おじま‐すけま〔をじま‐〕【小島祐馬】
[1881~1966]中国思想史家。高知の生まれ。京大教授、京大人文科学研究所初代所長。著作に「古代支那研究」「中国思想史」など。
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小島 祐馬
オジマ スケマ
大正・昭和期の中国哲学者 京都帝大名誉教授。
- 生年
- 明治14(1881)年12月3日
- 没年
- 昭和41(1966)年11月18日
- 出身地
- 高知県吾川郡春野村(現・春野町)
- 別名
- 号=小島 抱甕
- 学歴〔年〕
- 京都帝大法科大学〔明治40年〕卒,京都帝大文科大学哲学科〔明治45年〕卒
- 学位〔年〕
- 文学博士〔昭和6年〕
- 経歴
- 中国遊学後、京都府立第一中学校教諭、三高講師、大正7年同志社大学法学部教授、8年京都帝大経済学部講師。9年青木正児、本田成之両博士らと雑誌「支那学」を創刊。11年京都帝大文学助教授、15年から昭和3年までフランスに留学、昭和6年教授となり「支那古代社会の研究」により文学博士。11年文学部長、14年東方文化学院京都研究所(のちの京大人文科学研究所)所長となり16年定年退職、17年名誉教授。24年日本学士院会員。著書に「古代支那研究」「中国の革命思想」「中国の社会思想」「中国思想史」「古代中国研究」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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小島祐馬
おじますけま
(1881―1966)
中国哲学研究者。高知県生まれ。京都帝国大学経済学部・文学部卒業。のち同大学文学部教授(支那(しな)哲学史専攻)。1920年(大正9)、本田成之(ほんだしげゆき)(1882―1945)、青木正児(あおきまさる)とともに雑誌『支那学』を創刊。この雑誌は、それまでの日本の「支那学」研究が多少とも残していた江戸漢学的臭みを一掃する画期的な意味を有した。小島の中国哲学研究は、唯物史観的方法論にたち、たとえば孔子なり墨子(ぼくし)なりの背後の社会環境からその思想を説明しようとする。しかも孔子や墨子の倫理説よりも、政治経済説に多く興味を抱く。フランスの「シナ学」の民俗学的方法論をも早く吸収した。著書に『古代支那研究』『中国の社会思想』『中江兆民』などがある。
[本田 濟 2016年3月18日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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小島祐馬 (おじますけま)
生没年:1881-1966(明治14-昭和41)
中国思想史家。高知県生れ。号は抱甕。1922-41年京都大学支那哲学史講座助教授,教授。京大人文科学研究所初代所長。狩野直喜,内藤虎次郎の門下である。清朝考証学をふまえつつ社会科学的方法を用いて,漢学的道学臭を一掃した多くの先駆的論文を発表。青木正児,本田成之と1920年雑誌《支那学》を発刊したことは,日本の中国研究史上画期的事件であった。《古代支那研究》(1943),《中国の革命思想》(1950),《中国の社会思想》(1967)などのほか,中江兆民に関する研究もある。河上肇の終生の友であった。
執筆者:島田 虔次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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小島祐馬 おじま-すけま
1881-1966 大正-昭和時代の中国哲学者。
明治14年12月3日生まれ。大正9年青木正児(まさる)らと「支那学」を発刊。15年フランスに留学し,昭和6年京都帝大教授となる。14年同大人文科学研究所初代所長,24年学士院会員。昭和41年11月18日死去。84歳。高知県出身。京都帝大卒。著作に「古代支那研究」「中国思想史」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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小島 祐馬 (おじま すけま)
生年月日:1881年12月3日
大正時代;昭和時代の中国哲学者。文学博士;京都帝国大学教授
1966年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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