日本大百科全書(ニッポニカ) 「小日本主義」の意味・わかりやすい解説
小日本主義
しょうにほんしゅぎ
日露戦争前後から大正前半期にかけて、幸徳秋水(こうとくしゅうすい)・安部磯雄(あべいそお)らの社会主義者、キリスト者の内村鑑三(かんぞう)、三浦銕太郎(てつたろう)らの大正デモクラットによって、藩閥官僚政府の軍事的な対外膨張政策、つまり当時の「武断的帝国主義」に反対して提唱された平和主義的、民主主義的な一連の思潮。中江兆民(なかえちょうみん)の小国主義は、その歴史的な先駆形態とみなすことができる。ことに明治末から大正期に雑誌『東洋経済新報』の主幹として活躍した三浦銕太郎や石橋湛山(たんざん)らの見解は代表的な小日本主義の主張とみなされている。
初期の大正デモクラットは、日本の帝国主義的な発展を図るためには、わが国を名実ともにイギリス型の近代的な帝国主義国家にする必要があるとして、内政=「立憲主義」と外交=「帝国主義」との統一的な促進を力説した。彼らは、欧米先進国なみの資本主義化と立憲主義的な政治体制を完成するとともに、従来の武断的な帝国主義政策から、「実業上の帝国主義」つまり移民や貿易、さらには資本輸出を中心とした平和的、経済的な対外膨張政策へと転換させる必要があるとした。このような路線を徹底させ、侵略的な領土拡張主義、植民地主義を厳しく批判した雑誌こそ、三浦銕太郎らの『東洋経済新報』であった。
イギリスの自由主義、功利主義の立場に依拠した三浦らは、自由・対等な諸個人の政治的・経済的な内外にわたる自由な競争を保障するような体制の実現を理想とし、この見地から、普通選挙を前提とする政党内閣制の実現や、領土拡張主義、保護主義に対する商工立国主義、自由貿易主義を主張したばかりか、大正期には民族自決や満州(中国東北地区)などの植民地の放棄も唱えた。しかしながら、このように武断的な対外膨張主義に反対したとはいえ、彼らは貿易や資本輸出を中心とする経済的な対外進出には積極的な態度を表明していた。
[栄沢幸二]
『井上清・渡部徹編『大正期の急進的自由主義』(1972・東洋経済新報社)』