日本大百科全書(ニッポニカ) 「東洋経済新報」の意味・わかりやすい解説
東洋経済新報
とうようけいざいしんぽう
財政経済雑誌。日清(にっしん)戦争勃発(ぼっぱつ)時ロンドンにあった町田忠治(ちゅうじ)が『エコノミスト』『ステイティスト』誌に倣って1895年(明治28)創刊した。当初は旬刊、1919年(大正8)以降週刊。町田のあと、天野為之(ためゆき)、植松考昭(ひさあき)、三浦銕太郎(てつたろう)らが主幹となる。創業期には田口卯吉(うきち)の『東京経済雑誌』と並び称され、産業資本育成を目ざして活発な言論を展開、門戸開放と自由貿易を主張、ときには軍部の横暴に対して陸海軍大臣の文官制を提唱したりした。その自由主義的立場は25年から46年(昭和21)までの石橋湛山(たんざん)主幹にも継承され、たとえば金解禁論争、39年の独ソ不可侵条約締結に対する「独逸(ドイツ)の背反は何を訓(おし)へるか」など特筆すべき数々の論説がある。後者は岩波茂雄がその抜き刷りを回覧したという挿話が残っている。61年新年特大号から『週刊東洋経済』と改題。
[京谷秀夫]