小泉八雲旧居(読み)こいずみやくもきゆうきよ

日本歴史地名大系 「小泉八雲旧居」の解説

小泉八雲旧居
こいずみやくもきゆうきよ

[現在地名]松江市北堀町

松江城跡の大堀に沿った塩見縄手しおみなわて通の西端に位置し、西隣に小泉八雲記念館がある。国指定史跡ヘルン旧居ともいう。八雲が松江で生活したのは明治二三年(一八九〇)八月三〇日から同二四年一一月一五日までの一年三ヵ月で、妻セツと旧居にいたのは同二四年六月二二日から一一月一五日までのわずか五ヵ月であった。八雲が日本で最も愛したのは松江で、名著「グリンプセス・オブ・アンファミリアー・ジャパン」(邦題「知られぬ日本の面影」)のほとんど全部は松江で取材執筆された。そのなかで旧居から見える「日本の庭」を詳しく描写し、苔むした岩・手水鉢・石灯籠・築山・木々・自然石・小川などを記すとともに、旧居後方の森、竹藪の鳥の鳴声、池にすむ蛙にまで愛情を注ぎ、「私はこのすまいを、あまりにも好きになり過ぎた」とも記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「小泉八雲旧居」の解説

こいずみやくもきゅうきょ【小泉八雲旧居】


島根県松江市北堀町にある邸宅跡。数々の作品で日本を紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が1891年(明治24)5月から同年11月に熊本の第五高等中学校へ転任するまで、セツ夫人と住んだ家である。小泉八雲旧居は、武家屋敷が堀に面して立ち並び、城下町のたたずまいが残る塩見縄手の一角にある。間口約15.5m、奥行き約10mの平屋建て瓦葺きの日本家屋で、享保年間(1716~35年)に禄高500石未満の士族の屋敷として建てられた。所有者の根岸干夫(たてお)は簸川(ひかわ)郡長を務めており、八雲はこの留守宅を借りていた。八雲は三方に庭が見える左側の3部屋をおもに使用し、この家をこよなく懐かしんだことは著書にも書かれ、1896年(明治29)に再訪したとき、「わが家に帰ってきた」と喜んだといわれる。『知られぬ日本の面影』など著作の多くはこの家で書かれ、あるいはヒントを得たものであった。1940年(昭和15)に国の史跡に指定された。八雲が愛した蓮池や部屋の調度品などは当時のまま残されている。旧居西側に小泉八雲記念館があり、八雲の愛用品が数多く展示されている。JR山陰本線松江駅から市営バス「小泉八雲記念館」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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