日本大百科全書(ニッポニカ) 「小泉策太郎」の意味・わかりやすい解説
小泉策太郎
こいずみさくたろう
(1872―1937)
明治後期~昭和初期の新聞記者、政治家。号は三申(さんしん)。明治5年11月3日静岡県賀茂(かも)郡の子浦(こうら)(現、南伊豆(みなみいず)町)に生まれる。『国民之友』を耽読(たんどく)し、『静岡日報』記者を経て、1894年(明治27)『自由新聞』記者となり、幸徳秋水(こうとくしゅうすい)・堺利彦(さかいとしひこ)と知り合い終生緊密な親交を結んだ。1895年『めさまし新聞』記者となり、さらに『九州新聞』主筆となる。この間に『由比正雪(ゆいしょうせつ)』『織田信長』などの史伝を発表した。株式で巨利を得て、1912年(明治45)5月の総選挙で静岡県選出の代議士となり、以後連続7回当選し、政友会に属した。1924年(大正13)政友会総裁高橋是清(これきよ)に辞爵と衆議院進出の決意を促し、清浦奎吾(きようらけいご)内閣打倒の第二次憲政擁護運動の契機をつくり、翌1925年には高橋総裁の引退と田中義一(ぎいち)の総裁就任を画策するなど、昭和初期にかけて政界の策士・黒幕としてその力量を発揮して、隠然たる位置を占めた。昭和12年7月28日没。
[佐藤能丸]
『『小泉三申全集』全4巻(1939~1942・岩波書店)』▽『長谷川義記著『評伝 小泉三申』(1977・島津書房)』▽『小島直記著『小泉三申』(中公新書)』