小浜湊(読み)おばまみなと

日本歴史地名大系 「小浜湊」の解説

小浜湊
おばまみなと

日本海沿岸で唯一のリアス海岸を形成する若狭湾のほぼ中央小浜湾内にあり、「稚狭考」に「松前津軽秋田越後・神済以南はいふに及はす、長門出雲石見以東にて敦賀・小浜の湊ほと商賈よろしき所なし」と記される天然の良港

中世史料には主として小浜津とみえ、禁裏御料所であったらしく、「若狭国税所今富名領主代々次第」に「小浜着岸之鉄船之公事、自内裏御直納之由、依武家仰出、当御管領細川右京大夫殿御教書 応永十九年十二月三日、被一色殿了、廿年三月日当所被仰下了」とある。同次第によると入津管理の政所は問丸に置かれたが、彼らはすでに大きな経済力をもち、応永二八年(一四二一)七月には代官長法寺道圭を更迭するほどであった。また南北朝期以降内外貿易港として発展、朝鮮への通交船がしばしば出船し、「海東諸国紀」によれば守護代あるいは問丸らによる船立のあったことがうかがわれる。この頃の小浜津はきた川以北の西津にしづ庄内にあったらしく、前記次第によると、同一五年西津と思われる浜に「生象一疋」ほかの進物を積んだ南蛮船が着岸、同一九年の着岸の際は宿所に問丸本阿弥宅があてられた。寛正二年(一四六一)四月には舟荷物をめぐって一色氏被官小倉氏と武田氏被官逸見氏が争論、幕府政所で対決しており、「親元日記別録」同年同月二一日条に「武田被官与一色左京兆被官申舟荷物事、十三丸大船、事者、重各別之上者、於小浜立請人、先被返渡、相論枝舟事者、仰豊前守護、可被召上売主」とあって小浜湊の機能性を示している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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