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小牧山城 こまきやまじょう

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日本の城がわかる事典の解説

こまきやまじょう【小牧山城】

愛知県小牧市にあった戦国時代の山城(やまじろ)。濃尾平野の独立峰小牧山(標高85.9m)に築かれた城郭である。尾張を統一し、桶狭間の戦いで西上する今川軍を破った織田信長が、美濃(岐阜県)の攻略の拠点として築いた城として知られている。信長は1560年(永禄3)の桶狭間の戦いの3ヵ月後に美濃の攻略に着手した。その後、1562年(永禄5)には三河の徳川家康との間に同盟(清洲同盟)が成立し、東の脅威がなくなったことから、信長は美濃攻略を本格化させるため、清洲からさらに美濃に近い小牧山に本拠を移した。信長は配下の丹羽長秀に奉行を命じて小牧山山頂に城を築き、1563年(永禄6)7月には主要な兵力を清洲から小牧山城へと移動させた。小牧山は東西約600m、南北約400mの広さの山だが、小牧山城は全山を城域として山頂に本丸を設け、その周囲に多数の曲輪(くるわ)と重臣の居館が配され、南から西にかけての山麓には、清洲から移転させた城下町がつくられていた。小牧山城に居城を移した信長は、ここを拠点として美濃への侵攻を繰り返した。1567年(永禄10)8月、ついに美濃の斎藤氏(斉藤龍興)の本城稲葉山城を攻略した信長は、稲葉山城を岐阜城と改めて小牧山城から移った。これにより、築城から4年目にして小牧山城は廃城となった。小牧山が再び歴史の舞台に登場するのは、豊臣秀吉徳川家康が戦った1584年(天正12)の小牧・長久手の戦いである。家康は小牧山に注目し、城跡の土塁、空堀などを大規模に改修して強固な陣をつくり、秀吉に先がけて本陣を置いた。その後、到着した豊臣方の大軍は容易に攻めることができずににらみ合いとなった。そうした戦況を打開しようと、豊臣方の池田恒興、森長可らが徳川の本領である三河の攻撃を企図し進軍を開始したが、長久手において徳川方に迎撃され壊滅的な敗戦を喫した。江戸時代に入ると小牧山は尾張徳川家の領地となって入山が禁止され、明治維新後も尾張徳川家の所有地として存続し、1927年(昭和2)に国に寄付された。この年、小牧山は国の史跡指定を受ける。こうした経緯もあって、山中の各所に土塁、空堀、井戸跡、曲輪、虎口や若干の石垣などの遺構が残ることになった。現在、小牧山山頂には、1967年(昭和42)に建設された3層4階の模擬天守が建っており、内部は小牧市歴史資料館になっている。また、山の東側は史跡公園として整備・管理されている。名鉄小牧線小牧駅からバスで小牧市役所前下車。山頂までは徒歩約10分。◇小牧城ともよばれる。

出典|講談社
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