日本大百科全書(ニッポニカ) 「小西隆佐」の意味・わかりやすい解説
小西隆佐
こにしりゅうさ
(?―1592)
豊臣秀吉(とよとみひでよし)の重臣で、堺奉行(さかいぶぎょう)、またキリシタンとして知られる。その息子、如清(じょせい)(生没年不詳)、行長(ゆきなが)はいずれもキリシタンであり、教会の史料にしばしば記載されている。「りゅうさ」の出自は明らかでなく、自筆文書もないので、「隆佐」か「立佐」か断定できない。しかし、早くキリシタンとなり、その教名が「ジョウチン」(常珍)であったことは確認できる。秀吉に寵用(ちょうよう)され、主として財務を取り扱った。天正(てんしょう)20年9月末(西暦1592年10月末か11月1日ごろ)京都で病死。堺奉行の職は如清が継承した。
[松田毅一 2018年3月19日]