三重県南部、東紀州の熊野灘(なだ)に臨む港湾都市。1954年(昭和29)尾鷲町と須賀利(すがり)、九鬼(くき)、北輪内(きたわうち)、南輪内の4村が合併して市制施行。市名は中世以降の郷(ごう)名による。壮年期の紀伊山地が海に迫って沈水し、日本でも有数のリアス海岸を形成し、尾鷲湾、九鬼湾、早田(はいだ)湾、賀田(かた)湾など大小の湾入が続く。集落は湾奥の平地に点在する。温暖な南海気候区に属し、年平均降水量で3848.8ミリメートル(1981~2010)、日降水量でも806ミリメートル(1968)を記録した多雨地である。険しい地形は長くこの地を陸の孤島としてきたが、1959年国鉄(現、JR)紀勢線の尾鷲―熊野間が開通して東西線が連結し(同時に紀勢本線と改称)、1968年には国道42号の改修が完了してようやく近代交通機関の恩恵が及んだ。紀勢自動車道、熊野尾鷲道路が通じ、北部山間部を国道425号、海岸に沿って国道311号が走る。古くから熊野灘回船の避難港、木材搬出港、漁港として、あるいは南北朝時代の九鬼水軍のように海賊的土豪の本拠として、海とともに生きてきた歴史をもつ。市域の9割以上が山林で、山と海に糧(かて)を求めてきた。山での密植栽培によるヒノキ丸太の生産は尾鷲林業を育て、海ではカツオ、マグロ遠洋漁業の基地のほか、ブリ定置網漁業、マダイ養殖が盛ん。北部海岸には、火力発電所(2018年廃止)を中心としたコンビナートが立地した。三木里(みきさと)浜の海水浴場、土井竹林、九木神社樹叢(じゅそう)(国の天然記念物)のほか、大望遠鏡を備えた市立天文科学館などがある。面積192.71平方キロメートル、人口1万6252(2020)。
[伊藤達雄]
『『尾鷲市史』(1969・尾鷲市)』▽『『尾鷲市史年表』(1994・尾鷲市)』
三重県南部の市。1954年,尾鷲町と須賀利,九鬼,北輪内,南輪内の4村が合体して市制。人口2万0033(2010)。市域の大部分は紀伊山地の山林だが,東部は熊野灘に臨むリアス海岸で,市街地は尾鷲湾奥の小平地に位置する。前面に黒潮が流れ,背後に山が迫っているため,年降水量4000mmをこえる多雨都市である。中世には一時伊勢神宮領となり,九鬼は熊野水軍の根拠地として名をはせた。近世には紀州藩の支配を受け,近海航路の寄港地であった。1934年国鉄紀勢東線が開通,59年には紀勢西線とつながり紀勢本線となった。尾鷲材(杉,ヒノキ)で知られる林業,製材業と沿岸・遠洋・養殖(ハマチ,タイ)各漁業,水産加工が主産業であったが,64年に石油(東邦石油)・火力(中部電力)コンビナートが完成し,町の景観は一変した。紀勢本線全通後は海水浴客(三木里海水浴場)や魚釣客も増加している。
執筆者:成田 孝三
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