宮城県南東端、亘理郡(わたりぐん)の町。1955年(昭和30)山下、坂元の2村が合併して成立。JR常磐(じょうばん)線、国道6号が通じる。常磐自動車道の山元インターチェンジがある。南は福島県に接し、東は太平洋に臨み、西は阿武隈(あぶくま)高地が北へ延びる。中世は豪族亘理氏が支配し、中世末に浜通りの相馬(そうま)氏と伊達(だて)氏の抗争に巻き込まれた。近世は仙台藩の重臣大条氏(おおえだうじ)が坂元に居住した。1646年(正保3)外国船監視のための唐船番所(からぶねばんしょ)が設置された。稲作のほかにイチゴ、リンゴ、蔬菜(そさい)栽培も行われる。漁業では、ホッキ漁が盛んで、ホッキ貝は特産品となっている。また、弱電や自動車部品工場の進出もみられる。面積64.58平方キロメートル、人口1万2046(2020)。
[後藤雄二]
〔東日本大震災〕2011年(平成23)の東日本大震災では、死者700人・行方不明18人、住家全壊2217棟・半壊1085棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。不通となっていた常磐線は内陸側に路線を移設して2016年に復旧し、海底のがれきのために中断していたホッキ漁は底引漁具のかわりに噴流式マンガ(加圧した海水を海底に噴射させて採貝する漁具)を使用して再開。新庁舎も2019年(令和1)5月に供用を開始し、引き続き防災緑地の整備などに取り組んでいる。
[編集部 2019年10月18日]
『『山元町誌』3巻(1971~2005・山元町)』
宮城県南東端,亘理(わたり)郡の町。人口1万6704(2010)。西部は阿武隈高地から続く丘陵で,東部には平たん地が広がり,仙台湾に面する。気候は県内で最も温暖である。JR常磐線と国道6号線が通じる。中世には千葉氏一族が入って亘理氏を称し,その城跡などが残る。江戸時代は亘理伊達氏と大条(おおすじ)氏の知行地。新浜(しんはま),中浜,花釜などで漁業が営まれ,製塩も奨励された。山下では1902年砂丘を開拓してブドウ栽培が行われ,品質のよさで知られる。農業を主とするが水田面積は少なく,砂丘地域でのイチゴ,キュウリなどの施設園芸,丘陵地域でのリンゴ栽培が中心である。新浜,中浜では沿岸漁業も行われるが規模は小さい。近年は中小の工場進出がみられ,仙台市への通勤者も増えている。2011年3月の東日本大震災では,死者行方不明724人,全壊住宅2130戸にのぼった。
執筆者:千葉 立也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…金山師の略称。山主,山元ともいった。鉱業の練達者で,おもに採鉱経営の請負主にあたる。…
※「山元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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