山口青邨(読み)ヤマグチセイソン

デジタル大辞泉 「山口青邨」の意味・読み・例文・類語

やまぐち‐せいそん【山口青邨】

[1892~1988]俳人岩手の生まれ。本名、吉郎。高浜虚子師事。「夏草」を主宰。写生に根ざした清純・高雅な句風で知られた。句集雑草園」「露団々」など。

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精選版 日本国語大辞典 「山口青邨」の意味・読み・例文・類語

やまぐち‐せいそん【山口青邨】

  1. 俳人。盛岡市生まれ。本名吉郎。東大教授。高浜虚子に師事し、「ホトトギス」で活躍。随筆にも秀でる。俳誌「夏草」を主宰。句集に「雑草園」「雪国」など、随筆に「花のある随筆」「草庵春秋」など多数。明治二五~昭和六三年(一八九二‐一九八八

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20世紀日本人名事典 「山口青邨」の解説

山口 青邨
ヤマグチ セイソン

大正・昭和期の俳人,随筆家,鉱山学者 「夏草」主宰;東京大学名誉教授。



生年
明治25(1892)年5月10日

没年
昭和63(1988)年12月15日

出生地
岩手県盛岡市

本名
山口 吉郎(ヤマグチ キチロウ)

別名
初号=泥邨

学歴〔年〕
東京帝国大学工科大学採鉱科〔大正5年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔昭和6年〕

主な受賞名〔年〕
勲三等旭日中綬章〔昭和43年〕,岩手日報文化賞〔昭和58年〕

経歴
古河鉱業農商務省を経て、大正10年東京帝大助教授、昭和12年2月から14年4月までベルリンへ留学。同年6月東京帝大教授に。28年に定年退官。俳句は大正11年高浜虚子に師事し、秋桜子らと東大俳句会を興す。12年「芸術運動」を発刊。昭和4年「ホトトギス」同人、長く同人会長を務め、62年名誉会長に。この間、昭和5年から「夏草」を主宰。9年東大ホトトギス会を興し学生の指導にあたる。毎日俳壇選者。平成元年、北上市の日本現代詩歌文学館に遺族から資料が寄贈された。句集に「雑草園」「雪国」「露団々」「花宰相」「庭にて」「冬青空」「粗餐」「不老」「寒竹風松」、随筆に「花のある随筆」「春籠秋籠」「わが庭の記」「回想南瓜」「三艸書屋雑記」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「山口青邨」の意味・わかりやすい解説

山口青邨 (やまぐちせいそん)
生没年:1892-1988(明治25-昭和63)

俳人。盛岡市生れ。本名吉郎(きちろう)。1916年東大工学部卒。古河鉱業,農商務省に勤めたのち,東大教授となり鉱山学を講じた。俳句は22年水原秋桜子らと東大俳句会を興し,以来,高浜虚子の指導を受けて《ホトトギス》の代表的俳人として活躍。処女句集《雑草園》(1934)の〈本を読む菜の花明り本にあり〉,第2句集《雪国》(1942)の〈藤垂れてわが誕生日むらさきに〉のように,句は平易で明るい。その特色は,対象や自分の感情に余裕をもってのぞむ姿勢から生じている。30年から俳句雑誌《夏草》を主宰。句集はほかに《乾燥花》(1968),《不老》(1977)など,《草庵春秋》(1943)などの随筆集も多い。〈青空に障子を上げて洗ひけり〉(《乾燥花》)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山口青邨」の意味・わかりやすい解説

山口青邨
やまぐちせいそん
(1892―1988)

俳人。盛岡市に生まれる。本名吉郎。旧制二高を経て東京帝国大学工学部採鉱学科を卒業、古河鉱業(現古河機械金属)、農商務省に勤務ののち、1921年(大正10)東大工学部助教授、のち教授となった。水原秋桜子(しゅうおうし)、富安風生(とみやすふうせい)らに勧められて東大俳句会に加わり、清純、高雅な作風をもって『ホトトギス』の有力作者となり、文章の勉強会「山会」にも加わって随筆の妙手と評された。30年(昭和5)郷里盛岡に創刊の『夏草』選者となり、これを主宰、俳壇最長老として信望を集める。著書には随筆『花のある随筆』(1934)、『草庵(そうあん)春秋』(1943)、『回想の南瓜』(1965)、句集に『雑草園』(1934)、『雪国』(1942)、『粗餐(そさん)』(1973)など甚だ多い。工学博士、東大名誉教授。

[村山古郷]

 みちのくの雪深ければ雪女郎

『『山口青邨句集』(1970・白凰社)』

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百科事典マイペディア 「山口青邨」の意味・わかりやすい解説

山口青邨【やまぐちせいそん】

俳人,鉱山学者,随筆家。盛岡市生れ。本名吉郎(きちろう)。1916年東京帝大工学部卒。1939年同大教授となり鉱山学を講じた。1922年水原秋桜子(しゅうおうし)らと東大俳句会を興し,高浜虚子の指導を受けて《ホトトギス》の代表俳人となる。〈ホトトギス4S〉(秋桜子・高野素十・阿波野青畝・山口誓子)の名付け人。1930年より《夏草》を創刊主宰。《雑草園》《乾燥花》などの句集のほか随筆集も多い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口青邨」の解説

山口青邨 やまぐち-せいそん

1892-1988 大正-昭和時代の俳人,鉱山学者。
明治25年5月10日生まれ。古河鉱業などをへて母校東京帝大の教授。高浜虚子にまなび,大正11年水原秋桜子(しゅうおうし)らと東大俳句会をおこす。「ホトトギス」同人。「夏草」を創刊,主宰。昭和63年12月15日死去。96歳。岩手県出身。本名は吉郎。句集に「雑草園」,著作に「花のある随筆」など。
【格言など】外套(がいとう)の裏は緋(ひ)なりき明治の雪(「露団々」)

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367日誕生日大事典 「山口青邨」の解説

山口 青邨 (やまぐち せいそん)

生年月日:1892年5月10日
大正時代;昭和時代の俳人;鉱山学者。「夏草」主宰;東京大学教授
1988年没

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