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高野素十 たかの すじゅう

百科事典マイペディアの解説

高野素十【たかのすじゅう】

俳人。本名与巳(よしみ)。茨城県生れ。東大医学部卒。高浜虚子に師事して《ホトトギス》主要同人となり,花鳥諷詠(ふうえい),客観写生を実践。昭和初期,山口誓子水原秋桜子,阿波野青畝とともに〈4S〉と呼ばれた。
→関連項目ホトトギス山口青邨

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高野素十 たかの-すじゅう

1893-1976 大正-昭和時代の俳人,法医学者。
明治26年3月3日生まれ。新潟医大教授,同大学長,奈良医大教授を歴任。高浜虚子に師事。水原秋桜子,山口誓子,阿波野青畝(せいほ)とともに「ホトトギス」の4Sと称された。昭和32年「芹」を創刊,主宰。昭和51年10月4日死去。83歳。茨城県出身。東京帝大卒。本名は与巳(よしみ)。句集に「初鴉」「雪片」など。
【格言など】わが星のいづくにあるや天の川(「芹」昭和51年11月号)

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世界大百科事典 第2版の解説

たかのすじゅう【高野素十】

1893‐1976(明治26‐昭和51)
俳人。茨城県生れ。本名与巳(よしみ)。新潟県立長岡中学,一高を経て東大医学部卒業後,同大法医学教室時代,水原秋桜子の手引きで俳句を始め,1923年高浜虚子に師事した。虚子の唱導する〈客観写生〉〈花鳥諷詠〉の精神と方法に徹し,昭和初期《ホトトギス》雑詠欄で活躍,秋桜子,山口誓子,阿波野青畝(せいほ)とともに4Sと称せられた。没主観の客観写生の句風は俳句性そのもの,俳句の原型とも呼ぶべき骨格を体現しており,虚子の厚い信任を受けたが,瑣末主義に陥る一面も有し,抒情の回復を希求した秋桜子の《ホトトギス》離脱の一因ともなった。

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大辞林 第三版の解説

たかのすじゅう【高野素十】

1893~1976) 俳人。本名与巳よしみ。茨城県生まれ。東大医学部卒。新潟医科大学教授。徹底した客観写生を実践して、虚子の衣鉢を継ぐ。句集「初鴉」「雪片」「野花やか集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高野素十
たかのすじゅう

[生]1893.3.3. 茨城,山王
[没]1976.10.4. 相模原
俳人,法医学者。本名,与巳 (よしみ) 。 1918年東京大学医学部卒業。水原秋桜子の紹介で 23年から高浜虚子に師事,東大俳句会の有力メンバーとして活躍。昭和初期,『ホトトギス』で秋桜子,山口誓子,阿波野青畝と並んで四Sと称された。花鳥諷詠に徹し,簡素明快な句風を開き,虚子の信頼が厚かった。 57年から俳誌『芹』を主宰。句集は『初鴉』 (1947) ,『雪片』 (52) ,『野花集』 (53) など。新潟医科大学学長,奈良医科大学教授などを歴任

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高野素十
たかのすじゅう
(1893―1976)

俳人。茨城県生まれ。本名与巳(よしみ)。旧制一高を経て東京帝国大学医学部を卒業し、法医学教室の助手として勤務中、同僚の緒方春桐(おがたしゅんとう)、水原秋桜子(しゅうおうし)の仲間に加わって句作を始めた。高浜虚子(きょし)に師事、写生俳句に独自の風格を備えてたちまち頭角を現し、秋桜子、(山口)誓子(せいし)、(阿波野)青畝(せいほ)と並んで『ホトトギス』4Sの1人にあげられた。新潟医大教授、次いで奈良医大教授となる。1957年(昭和32)『芹(せり)』を創刊、没するまで主宰した。句集に『初鴉(はつがらす)』(1947)、『雪片(せっぺん)』(1952)、『野花(やか)集』(1953)などがある。[村山古郷]
 方丈の大庇(おおびさし)より春の蝶
『『素十全集』全4巻(1970~71・明治書院)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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