小説家。横浜市生まれ。神奈川大学経済学部卒業後会社員生活に入るが、1987年(昭和62)「プレミアム・プールの日々」がコバルト・ノベル大賞佳作に入選。これを機に退職。またほぼ同時期に結婚し、執筆活動に専念、少女小説を中心に活躍する。
1988年最初の著書『きらきら星をあげよう』を刊行。その後、3年あまりの間に15冊ほどの少女小説を発表する。しかし、ちょうどそのころから少女小説市場が縮小の気配をみせ始め、仕事の依頼もしだいに減ってゆく。同時に結婚生活にも亀裂が生じ、1年間の別居期間を経て離婚。そのような状況のなか、1992年(平成4)初の一般文芸作品『パイナップルの彼方(かなた)』を発表。ちょうど作者自身が書きたいものと、ジュニア小説の読者が求めるものとの乖離(かいり)が生じていた時期だったので、一般文芸への移行は絶好のタイミングでもあった。
しかし、この後『ブルーもしくはブルー』(1992)、『きっと君は泣く』(1993)と続けて作品を発表するが、評判はよかったものの売り上げは伸びず、山本は次の『あなたには帰る家がある』(1994)が売れなかったら、専業作家は辞めて再就職する道を考えていたという。同作は、夫婦間の感情のすれ違いを描きながら、幸福な家庭のありよう、ひいては結婚そのものの意味を問う意欲的な恋愛小説であった。これが作品の評価、売り上げともに大成功を収める。その理由の一つとして、ジュニア小説での修業時代に刷り込まれた文体から脱し、ようやく自分の文体を確立できたことがあげられよう。さらには、自身の体験から得たと思われる結婚観と、人間の心の不可思議さ――不安、恐怖、嫉妬(しっと)、妄想、苦痛などを生み出す行き場のない心の寂しさを、白日のもとにさらけ出してみせる描写の巧みさがあった。これ以降、山本は『眠れるラプンツェル』『ブラック・ティー』『群青(ぐんじょう)の夜の羽毛布』(いずれも1995年)と着実に恋愛小説作家としての地歩を固めてゆく。
1998年『恋愛中毒』により吉川英治文学新人賞を受賞。男女関係に限らず、人と人とのつきあいにおける「距離」のとり方のむずかしさを、ストーカーという新しい題材に託して描いた力作であった。続いて2001年(平成13)、フリーターや主婦など世間的には無職とよばれる人たちを描いた短編集『プラナリア』(2000)で第124回直木賞を受賞。ジュニア小説家から鮮やかな転身を果たした。
[関口苑生]
『『プラナリア』(2000・文芸春秋)』▽『『きらきら星をあげよう』『あなたには帰る家がある』(集英社文庫)』▽『『パイナップルの彼方』『ブルーもしくはブルー』『きっと君は泣く』『ブラック・ティー』『恋愛中毒』(角川文庫)』▽『『眠れるラプンツェル』『群青の夜の羽毛布』(幻冬舎文庫)』
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