山東問題(読み)さんとうもんだい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山東問題
さんとうもんだい

第1次世界大戦で日本が膠州湾租借地を占領し,山東省におけるドイツの権益を継承しようとして起った国際紛争。日本は中国に対し 1915年の対華二十一ヵ条要求で,山東省の旧ドイツ権益の全面的譲渡を主張していたが,中国の反対により,この問題は紛糾した。その後アメリカは,5強国による山東の国際管理を提案したが,日本は受入れず,ベルサイユ講和条約で山東条項を承認させた (156~158条) 。しかし中国は講和条約の調印を拒否し,排日運動が起った。 1921~22年のワシントン会議では,日本の主張する勢力範囲設定案を退け,中国に対する門戸開放・機会均等主義が承認され,山東問題にも適用された。日本と中国は 22年2月4日,山東懸案解決に関する条約に調印した。条約のおもな内容は,膠州湾還付と同地域公有財産の無償返還,青島済南府鉄道沿線駐屯の日本軍隊の撤退,青島税関返還,鉄道借款の放棄と国庫債券による買収,日本は専管居留地,国際居留地の設置を要求しないこと,中国は山東地域を外国貿易に開放し外国人の居住と営業の自由を許すこと,などであった。同年 12月 17日,日本軍は撤退を完了した。 (→石井=ランシング協定 , 五・四運動 )

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世界大百科事典 第2版の解説

さんとうもんだい【山東問題】

第1次大戦期,1914年から22年にかけ中国山東省のドイツ権益(膠州湾租借権,鉄道・鉱山に関する権利など)をめぐって,日本がひきおこした国際問題。大戦勃発の当初は,日本も中国も局外中立を宣言していたが,ドイツ権益奪取をもくろむ日本の大隈内閣(外相加藤高明)は,イギリス,フランス,ロシアからの協力要請に乗じて,まもなく対独参戦にふみきった。中国の袁世凱政府は,中立維持のため対米接近を試みたが,ウィルソン政府が積極的な姿勢を示さなかったので,日本の圧力の前に,中立除外区域を設定せざるをえなかった。

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大辞林 第三版の解説

さんとうもんだい【山東問題】

1915年提出された対華二一か条要求において、山東におけるドイツ権益を継承しようとする日本とこれに反対する中国との間の紛争。五・四運動、パリ・ワシントンの両会議を経て旧ドイツ諸権益はほとんど中国に回収された。

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精選版 日本国語大辞典の解説

さんとう‐もんだい【山東問題】

大正四年(一九一五)に提出された対華二十一箇条要求中の山東半島のドイツ権益継承をめぐっておきた日本・中国間の紛争。中国民衆による五・四運動が起こり、パリ講和会議・ワシントン会議を経て、同一一年山東還付条約が締結され、旧ドイツ権益はほとんどすべて中国に回収された。中国の国権回復運動の最初の成果とされる。

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世界大百科事典内の山東問題の言及

【山東[省]】より

…このとき日本の提出した〈二十一ヵ条要求〉に対しては,中国国民は国際世論を背景に反対運動をおこし,条約の廃棄と山東の返還を求め,ついに1922年のワシントン条約で,山東の利権は放棄させられた。これを〈二十一ヵ条問題〉あるいはその第1項が山東についてであったため〈山東問題〉という。しかしその後も日本は中国本土をうかがう基地として山東を利用し,1927‐28年,国民党の北伐に際し,田中義一内閣は2度にわたり山東に出兵し,第2次出兵のときには済南事件をひきおこした(山東出兵)。…

※「山東問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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