日本大百科全書(ニッポニカ) 「石井‐ランシング協定」の意味・わかりやすい解説
石井‐ランシング協定
いしいらんしんぐきょうてい
1917年(大正6)11月2日、日本の特派大使石井菊次郎とアメリカの国務長官ランシングR. Lansingの間で交換された公文による共同宣言。要旨は、アメリカ政府は、日本が中国とくに満蒙(まんもう)地方に「特殊な利益」を有することを承認する、日米両国は中国の領土保全、門戸開放、商工業に対する機会均等主義を支持する、というもの。第一次世界大戦中の対日宥和(ゆうわ)政策の一環としてアメリカは、列国の勢力範囲を撤廃して中国の門戸を開放すれば、中国市場に近い日本は有利な地位にたつと説き、石井もこれに賛成であったが、時の寺内正毅(てらうちまさたけ)内閣は、対華二十一か条要求に盛られている日本の特殊権益の承認を協定に含めるよう訓令し、折衝のすえ協定は成立した。しかし、中国はただちに協定に対する抗議を表明し、また日本は政治的な特殊権益をも認められたと解釈したが、アメリカは経済上の関係の承認であるとし、両国の意見は対立した。1922年(大正11)九か国条約が成立すると協定廃棄が提起され、翌23年4月14日、廃棄の交換公文が取り交わされた。
[大森とく子]
『外務省編『明治百年史叢書 日本外交年表竝主要文書 上』(1955・原書房)』