改訂新版 世界大百科事典 「山水田園詩」の意味・わかりやすい解説
山水田園詩 (さんすいでんえんし)
中国の詩の中で,叙景を主とし,自然観照の中に,人間界を越えた高い心境を表現しようとするもの。細別すると,山や川などの純粋叙景が山水詩,農村風景を,その中で働く農民の姿を含めて歌うのが田園詩である。
山水田園詩は,自然の中に,人間界の苦悩と束縛とにわずらわされないユートピアが存在するという思想に基礎を置くもので,このような思想はすでに《論語》や《荘子》に見える,春秋戦国時代の隠者にあらわれている。山水詩には,神仙思想と結びつき,人間界と隔絶した幽邃(ゆうすい)な山中に,神秘的な霊界を見いだそうとする傾向がある。田園詩は,農村を平和で自由な理想郷と見,作者自身がその中に生きようとするか,農民に深い共感を寄せる。農村の実相に触れて,悪政にしいたげられる農民の姿を歌う詩は,社会詩に含められ,田園詩とはみなされない。
叙景自体は古く《詩経》や《楚辞》にも見られ,《詩経》には農民生活の描写もあるが,山水が詩のテーマとなるのは東晋時代からであり,謝霊運が鮮麗な風景描写に新境地を開いた。同時代に,隠逸の詩人陶淵明が田園詩を創始した。六朝を通じて,山水詩は大いに繁栄したが,〈余霞は散じて綺(あやぎぬ)を成し,澄江は静かなること練(ねりぎぬ)の如し〉などの名句で知られる謝朓(しやちよう)がすぐれる。唐に入り,王維が山水詩と田園詩とを総合して美しい静寂の世界を表現し,山水田園を通じて最高の境地に達したと仰がれる。それとともに,農民生活をリアルに見つめ,杜甫などによる社会詩への発展の契機を示す。その影響は儲光羲(ちよこうぎ),常建,銭起から,さらに下って晩唐に及んだ。宋以後は普遍的に多くの詩人に取り上げられ,山水田園の詩人として特定するのは困難であるが,陸游,范成大など南宋の詩人は農村に住み,好んで農村生活を題材とし,清の王士禎は,王維に学んで清新な叙景を特色とする。
→山水遊記
執筆者:入谷 仙介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報