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謝朓 シャチョウ

デジタル大辞泉の解説

しゃ‐ちょう〔‐テウ〕【謝朓】

[464~499]中国、南朝の斉の詩人。陽夏(河南省)の人。字(あざな)は玄暉(げんき)。宣城の太守であったので謝宣城とよばれ、同族の詩人である謝霊運に対して小謝ともよばれた。

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世界大百科事典 第2版の解説

しゃちょう【謝朓 Xiè Tiǎo】

464‐499
中国,南朝斉の詩人。字は玄暉(げんき)。陳郡陽夏(河南省)の人。斉の永明年間,沈約(しんやく)らとともに,四声(しせい)のリズムを生かした新しい詩風を推進して,五言詩に一時期を画した。その景・情を巧みに融合させた繊細な感覚は,六朝後期を代表する詩人たるに恥じない。謝霊運を〈大謝〉と称するのに対して,〈小謝〉と呼ばれる。その詩は唐詩の抒情の先駆けとなり,ことに李白の詩に及ぼした影響は大きい。永明文学【興膳 宏】

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

謝朓
しゃちょう
Xie Tiao

[生]大明8 (464)
[没]永元1 (499)
中国,六朝時代の斉の詩人。字は玄暉(げんき)。陽夏(河南省)の人。早くから文才をうたわれ,明帝のとき宣城太守となった。それによって謝宣城とも呼ばれる。のち斉末の勢力争いに巻き込まれて獄死した。沈約らとともに,武帝の永明年間に竟陵王(きょうりょうおう)蕭子良の客となり,いわゆる「永明体」の詩風をつくった「竟陵八友」の第一人者。形式美の追求と繊細清新な着想と表現を示し,特に叙景詩に優れ,その巧みな対句はのちに代の近体詩成立に影響を与えた。唐の杜甫李白からも大いに推重され,一族の謝霊運謝恵連とともに「三謝」と呼ばれる。『謝宣城集』(5巻)が現存する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


しゃちょう
(464―499)

中国、南朝斉(せい)の詩人。字(あざな)は玄暉(げんき)。陳郡陽夏(河南省)の人。宣城郡(安徽(あんき)省)の太守となったので、謝宣城ともよばれる。謝の世代になると、東晋(とうしん)以来の門閥貴族である謝氏も昔日のおもかげはない。しかし名門意識と没落意識の交差がこの詩人の感性を鍛えた。とりわけ叙景に優れ、謝霊運の山水詩を引き継ぎつつ、美を洞察する感受性は、他の六朝(りくちょう)詩人に類をみない。友人の沈約(しんやく)は謝の五言詩を「二百年来この詩なし」とたたえた。謝も沈約も竟陵王蕭子良(きょうりょうおうしょうしりょう)の文学サロンに出入りした八友の一人であるが、謝の詩は、唐詩の風を先駆けて切り開いており、唐の詩人李白(りはく)や杜甫(とほ)の評価も高い。尚書吏部郎に抜擢(ばってき)されてまもなく、王朝末期にありがちな皇帝廃立の陰謀に巻き込まれ、36歳で獄死した。『謝宣城集』5巻がある。[成瀬哲生]
『網祐次著『中国中世文学研究――南斉永明時代を中心として』(1960・新樹社)』

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世界大百科事典内の謝朓の言及

【李白】より

…六朝の詩風,ことに斉梁の技巧的で繊細優美な詩風を嫌い,《詩経》の精神を受け継ぎながら,漢・魏の剛健で風骨のある詩風を復活させることを目ざしたが,その主張を高らかに宣言したのが〈古風〉59首の連作である。しかし反面では六朝の詩人たち,なかでも謝朓(しやちよう)から深く学んでいることも事実である。〈楽府(がふ)〉の形式に本領を発揮し,傑作の数々を残しているが,それは漢以来の〈楽府〉や六朝の民謡を継ぎながら,表現や内容をさらに発展させたもので,〈蜀道難〉〈将進酒〉〈子夜呉歌〉などの作品がある。…

※「謝朓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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