中原中也(ちゅうや)の第一詩集。1932年(昭和7)の春ごろ、編集作業を開始し、44詩篇(しへん)を収録して10月ごろ印刷を終了。その後、2年ほどの曲折を経て、1934年12月、200部限定、高村光太郎の装丁によって背表紙に金箔(きんぱく)を押した四六倍判函(はこ)入、3円50銭の豪華本仕様として文圃(ぶんぽ)堂から刊行された。
その大方は、「初期詩篇」「少年時」「みちこ」「秋」の四つの章にわたって、同人誌「白痴群」を中心に昭和4、5年の発表作品で占められ、そのうえに四つの新詩篇を加え、また最終詩章「羊の歌」3詩篇の成稿を待ってとりまとめたと考えられる構造をみせる。これら七つの新詩篇は、詩集の構成上特別重要な位置を占め、とくに最終詩篇「いのちの聲(こえ)」の最終行の「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於(おい)て文句はないのだ」には、中也の純粋な詩心の長い苦悩、格闘、挫折(ざせつ)のすえにたどり着いた到達点が示されている。
刊行時、河上徹太郎の「彼に於て初て正しい抒情詩が邦語で歌はれたのを認める」という詩史にわたる評価のほか小林秀雄、草野心平、また日夏耿之介(ひなつこうのすけ)をはじめとする高い評価があった。
[岡崎和夫]
…表題の〈在りし日〉は〈生前〉の意ではなく,〈過ぎし日〉と同義である。処女詩集《山羊の歌》(1934)が,人間関係の不調和に由来するなまなましい挫折感,喪失感,悔恨,祈願を歌っているのに対し,この詩集は,〈過ぎし日〉に身を置いた詩人が,現実を仮象と観じ,小児のような姿勢で原初的な幻想世界を創造しているところに特色がある。作表作は〈骨〉〈含羞(はじらい)〉〈曇天〉〈一つのメルヘン〉〈言葉なき歌〉〈春日狂想〉など。…
…しかし〈朝の歌〉(1926)によって詩人としての方向を自覚し,29年には河上徹太郎,大岡昇平らと《白痴群》を創刊,〈寒い夜の自我像〉などを発表して,魂の全体的な調和への希望と,それが果たされない人間の悲しみを歌った。34年,初期・中期の作品を収めた《山羊の歌》を刊行,以後小林秀雄らの《文学界》を自由な発表の舞台とし,また《四季》《歴程》の同人として活動,30年代後半の詩壇における声価をしだいに高めていった。とくに死の前年の36年には,〈一つのメルヘン〉〈言葉なき歌〉など,後期の代表作が集中的に書かれている。…
※「山羊の歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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