デジタル大辞泉
「草野心平」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
くさの‐しんぺい【草野心平】
- 詩人。福島県出身。慶応普通部を経て、中国嶺南大学中退。広州で詩誌「銅鑼」を創刊。帰国後の昭和三年(一九二八)第一詩集「第百階級」を刊行、前衛的な詩風を示す。同一〇年、逸見猶吉、高橋新吉らと詩誌「歴程」を創刊。独自の生命感・宇宙観をもつ詩に特徴がある。同六二年文化勲章受章。詩集「蛙」「絶景」「日本沙漠」など。他に小説・随筆など著作多数。明治三六~昭和六三年(一九〇三‐八八)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
草野心平
くさのしんぺい
(1903―1988)
詩人。明治36年5月12日、福島県石城(いわき)郡上小川村(現いわき市)に生まれる。慶応義塾大学普通部を中退し、1921年(大正10)中国広東(カントン)に渡り、嶺南(れいなん)大学に学んだ。在学中、兄民平の遺稿などに触発されて詩作を始め、25年、黄瀛(こうえい)らと謄写刷りの詩誌『銅鑼(どら)』を創刊したが、排日英運動激化のため、同年帰国した。28年(昭和3)詩誌『学校』を、また35年には逸見猶吉(へんみゆうきち)らと詩誌『歴程』を創刊、『歴程』は現在も刊行され、現代詩の一大潮流となっている。この間、40年に南京(ナンキン)政府の宣伝部顧問として中国に渡り、46年(昭和21)帰国した。詩は、初期の生命力の賛美や庶民のアナキスティックな生活意識への共感の表現から、しだいに無限の時空間への志向を強め、さらに原始的空間を背景とする幻想的実存感覚の表現へと転じたが、65、66年以降、現実性を強めている。詩集『第百階級』(1928)、『母岩』(1935)、『蛙(かえる)』(1938)、『絶景』(1940)、『富士山』(1943)、『定本蛙』(1948)、『日本沙漠(さばく)』(1948)、『第四の蛙』(1964)、『マンモスの牙(きば)』(1966)、『こわれたオルガン』(1968)など。また宮沢賢治、高村光太郎、村山槐多(かいた)、八木重吉らの全集や詩集の編纂(へんさん)に携わり、評伝や回想も多い。75年芸術院会員、87年文化勲章受章。昭和63年11月12日没。
[飛高隆夫]
『『草野心平詩集』(旺文社文庫・新潮文庫)』▽『『草野心平全集』全11巻(1979~82・筑摩書房)』▽『『第百階級』(1981・成瀬書房)』▽『草野心平著、棟方志功画『富士山』(1996・岩崎美術社)』▽『『蛙 定本』(2000・日本図書センター)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
草野 心平
クサノ シンペイ
大正・昭和期の詩人
- 生年
- 明治36(1903)年5月12日
- 没年
- 昭和63(1988)年11月12日
- 出生地
- 福島県石城郡上小川村(現・いわき市小川町)
- 学歴〔年〕
- 慶応普通部中退,嶺南大学(中国)中退
- 主な受賞名〔年〕
- 読売文学賞(第1回・詩歌賞)〔昭和24年〕「定本蛙」,福島県川内村名誉村民〔昭和35年〕,読売文学賞(第21回・評論・伝記賞)〔昭和44年〕「わが光太郎」,勲三等瑞宝章〔昭和52年〕,文化功労者〔昭和58年〕,文化勲章〔昭和62年〕
- 経歴
- 大正10年中国広州に渡り嶺南大学に学んだ頃から詩作を始め、14年同人誌「銅鑼」を創刊。帰国後も「銅鑼」を続け、やがて「学校」を創刊。昭和3年第一詩集「第百階級」を刊行。生活のため焼き鳥屋などの職を転々とし、10年詩誌「歴程」を創刊。13年詩集「蛙」を刊行。15年中国南京に赴き、21年帰国。22年「歴程」を復刊する。23年には生命力の讃美とアナーキスティックな庶民感情を蛙に託した詩を集大成した「定本蛙」を刊行し、第1回読売文学賞を受賞。モリアオガエルについての文章が機縁となり、35年には福島県川内村の名誉村民に推され、43年同村に「天山文庫」が建設された。数多くの詩集のほかに童話集「三つの虹」「ばあばらぶう」、評論「わが光太郎」「わが賢治」「村山槐多」などもある。また宮沢賢治の紹介者としての功績も大きい。「草野心平全集」(全12巻 筑摩書房)がある。平成10年生地のいわき市小川町に同市立草野心平記念館が開館した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
草野心平 (くさのしんぺい)
生没年:1903-88(明治36-昭和63)
詩人。福島県の生れ。慶応大学普通部を経て中国広東の嶺南大学に学んだ。1925年,広東で詩誌《銅鑼(どら)》を創刊,帰国後,詩誌《学校》を創刊し,ついで35年創刊の《歴程》に中心的な同人としてかかわった。第1詩集《第百階級》(1928)は全編蛙を素材とする特異な詩集で,〈第百階級〉とは,どん底の階級を意味するとともに,階級史観ではとらえられない原初的生命意識やアナーキスティックな思想を表明した語である。第3詩集《母岩》(1936)あたりから造型意識を強めるとともに独自の宇宙感覚を示すようになった。戦時中は南京政府宣伝部の仕事をした。当時の詩集には《蛙》(1938),《富士山》(1943)がある。戦後の《牡丹圏》(1948)では唯美的な傾向を示したが,しだいに原始幻想の世界を展開し,さらに《こわれたオルガン》(1968)あたりから自己の生死を見すえた現実的詩風に移った。また宮沢賢治,高村光太郎,村山槐多,八木重吉らの全集や詩集の編集に携わり,評伝や回想も多い。
執筆者:飛高 隆夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
草野心平
くさのしんぺい
[生]1903.5.12. 福島,上小川
[没]1988.11.12. 埼玉,所沢
詩人。福島県立磐城中学,慶應義塾大学普通部を経て,1921年中国に渡り,嶺南大学に学んだ。 1925年詩誌『銅鑼 (どら) 』を中国人の黄瀛 (こうえい) らの協力で創刊。同年帰国,詩集『第百階級』 (1928) で童話風なカエルの会話などを借りた特異な表現にアナーキズムの心情を吐露する一方,旺盛なエネルギーで『四季』派と並ぶ『歴程』派の中心的存在として活躍した。 1940年再び中国に渡り 1946年に帰国,1948年詩集『日本沙漠』『牡丹圏』『定本 蛙』,1950年『草野心平詩集』などで野獣派詩人としての壮大な幻想に富む抒情詩風を確立。宮沢賢治,八木重吉,逸見猶吉,村山槐多らの詩才を発掘紹介し,高村光太郎,山村暮鳥らの詩集を編集するなど詩壇の発展に尽くした功績も見逃せない。 1975年日本芸術院会員。 1987年文化勲章受章。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
草野心平【くさのしんぺい】
詩人。福島県生れ。中国広東の嶺南大学に学ぶ。詩誌《銅鑼(どら)》(1925年)を創刊,《歴程》(1935年)の中心的な同人。アナーキズムの傾向が強く,また擬声語を駆使したフォービスム的詩風に特色がある。全編蛙を素材とした第1詩集《第百階級》をはじめ《母岩》《富士山》《日本沙漠》《マンモスの牙》などの詩集がある。1987年文化勲章。
→関連項目山之口貘
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
草野心平 くさの-しんぺい
1903-1988 大正-昭和時代の詩人。
明治36年5月12日生まれ。草野天平の兄。中国広州の嶺南大を中退。在学中の大正14年詩誌「銅鑼(どら)」を創刊。帰国後の昭和3年アナーキスティックな心情を蛙(かえる)に託した第1詩集「第百階級」をだし,「学校」を創刊。10年「歴程」創刊に参加し,戦後は主宰する。23年「定本蛙」で第1回読売文学賞。50年芸術院会員。62年文化勲章。昭和63年11月12日死去。85歳。福島県出身。
【格言など】蛙はでつかい自然の讃嘆者である(「第百階級」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
草野 心平 (くさの しんぺい)
生年月日:1903年5月12日
大正時代;昭和時代の詩人
1988年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の草野心平の言及
【蛙】より
…[草野心平]の第4詩集。1938年(昭和13)刊。…
【銅鑼】より
…全16冊。[草野心平]が黄瀛(こうえい)らの協力を受け中華民国広州嶺南大学銅鑼社から謄写版印刷で創刊。3号以降は日本で発行,6・8・9号と11号以降は活版印刷で刊行された。…
※「草野心平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」