山辺 健太郎
ヤマベ ケンタロウ
大正・昭和期の歴史家,社会運動家
- 生年
- 明治38(1905)年5月20日
- 没年
- 昭和52(1977)年4月16日
- 出生地
- 東京市本郷区(現・東京都文京区)
- 学歴〔年〕
- 別府北尋常小〔明治45年〕卒
- 経歴
- 小学校卒業後、丸善大阪支店の見習いを1年勤め、足袋工場職人となり、大正10年の大阪のメーデー参加を機に労働運動・社会運動に参加。大正末頃、日本共産党に入党。14年日本労働組合評議会の大阪連合会結成に加わり、15年浜松の日本楽器争議で活躍。同年全日本無産青年同盟に加入、大阪支部役員を務めたが、昭和4年の4.16事件で検挙され下獄。15年治安維持法違反で再び検挙された。戦後20年出獄、同年日本共産党書記局員、21年統制委員となった。24年より歴史学研究会大会に出席。28年「前衛」の編集・発行に従事するが、33年共産党本部を辞職。以後、著述・研究活動に専念。共産党史、労働運動史の資料を収集、その研究と資料編集に業績を残した。また日本の朝鮮侵略や植民地支配の究明にも努めた。著書に「コミンテルンの歴史」「日本の韓国併合」「日韓併合小史」「日本統治下の朝鮮」「社会主義運動半世紀」、編著「現代史資料―社会主義運動」(14〜22)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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山辺健太郎
やまべけんたろう
(1905―1977)
労働運動家、朝鮮近代史・日本社会主義運動史研究家。明治38年5月20日東京市本郷区台町に生まれる。1921年(大正10)大阪で初のメーデーに参加、労働運動に従事、四・一六事件で検挙されたが、33年(昭和8)暮れ非転向で出獄。41年日米開戦で検挙、非転向のため予防拘禁所入りし獄中細胞に参加。45年10月10日治安維持法廃止で出獄、戦後の日本共産党で書記局員、統制委員となる。党史委員にもなり、日本共産党史、社会主義運動史、朝鮮近代史研究に入り、58年(昭和33)の第7回大会後は日本社会運動史や朝鮮近代史の執筆に専念した。自伝に『社会主義運動半生記』(岩波新書)、編著書に『現代史資料 社会主義運動1~7』(みすず書房)、『日韓併合小史』(岩波新書)などがある。昭和52年4月16日死去。
[犬丸義一]
『遠山茂樹他編『山辺健太郎 回想と遺文』(1980・みすず書房)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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山辺健太郎 やまべ-けんたろう
1905-1977 大正-昭和時代の労働運動家。
明治38年5月20日生まれ。大阪で労働運動にはいり,日本楽器争議などを支援。四・一六事件,治安維持法違反で検挙され,獄中で敗戦をむかえる。戦後は共産党統制委員などをつとめた。昭和52年4月16日死去。71歳。東京出身。著作に「社会主義運動半生記」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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山辺 健太郎 (やまべ けんたろう)
生年月日:1905年5月20日
大正時代;昭和時代の労働運動家
1977年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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