岡崎文夫(読み)おかざきふみお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡崎文夫」の意味・わかりやすい解説

岡崎文夫
おかざきふみお
(1888―1950)

中国史、とくにその中世史研究者。富山婦中町(現、富山市)に生まれる。第四高等学校を経て、京都大学史学科に入り、教授内藤虎次郎(とらじろう)の学風に魅了され、卒業後大学院に入り研究を続けた。中国に2年間留学し、帰国して仏教大学の教授となったが、1924年(大正13)東北帝国大学助教授に招かれ、以後教授となった。49年(昭和24)の定年まで仙台にあり、同僚の青木正児(まさる)、武内義雄とあわせて「シナ学三羽烏(さんばがらす)」と称せられた。その学は章句に拘泥せず大局をつかみ、『支那(しな)古代史要』『魏晋(ぎしん)南北朝通史』『支那史概説上』などの著述があり、『南北朝における社会経済制度』はとくに名著と称せられる。ほかに多くの論文があり、問題の選定、解明に天才的なひらめきがあった。

宮崎市定

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「岡崎文夫」の解説

岡崎 文夫
オカザキ フミオ

大正・昭和期の東洋史学者 東北帝国大学教授。



生年
明治21(1888)年2月23日

没年
昭和25(1950)年3月24日

出生地
富山県

学歴〔年〕
京都帝大文科大学史学科〔明治45年〕卒

学位〔年〕
文学博士(京都帝大)〔昭和10年〕

経歴
内藤湖南について中国近世史を学び、後中国古代史を研究した。大正8年から2年間中国に留学、帰国後仏教大学(後の竜谷大学)教授となり、13年東北帝大助教授。さらにイギリス、フランス留学の後、15年教授となった。東京文理科大学教授も兼任、日本学術振興委員会常置委員も務め昭和24年退官した。著書に「魏晋南北朝通史」「南北朝における社会経済制度」「司馬遷」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡崎文夫」の解説

岡崎文夫 おかざき-ふみお

1888-1950 大正-昭和時代の東洋史学者。
明治21年2月23日生まれ。内藤湖南にまなぶ。大正8年中国に留学。10年仏教大(現竜谷大)教授,15年東北帝大教授。魏晋南北朝時代の社会経済制度を専門とした。昭和25年3月24日死去。62歳。富山県出身。京都帝大卒。字(あざな)は煥卿。号は桜洲。著作に「魏晋南北朝通史」「古代支那史要」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡崎文夫」の意味・わかりやすい解説

岡崎文夫
おかざきふみお

[生]1888.2.23. 富山,婦中
[没]1950.3.24. 富山
東洋史学者。 1912年京都大学史学科卒業。 24年東北大学助教授,26年教授。中国古代史の実証的研究,特に南北朝史の開拓成果をあげた。主著『魏晋南北朝通史』 (1932) ,『南北朝における社会経済制度』 (35) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「岡崎文夫」の解説

岡崎 文夫 (おかざき ふみお)

生年月日:1888年2月23日
大正時代;昭和時代の東洋史学者
1950年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android