朝日日本歴史人物事典 「岸沢式佐(5代)」の解説
岸沢式佐(5代)
生年:文化3(1806)
江戸後期の常磐津節の三味線方。4代目式佐の子で名は仲助。文政5(1822)年4代目式佐が名古屋で客死したのち,2代目岸沢右和左(3代目式佐)と跡目争いとなったが,8年11月中村座で5代目式佐を襲名。天保4(1833)年6月両国中村屋で襲名披露,5年名古屋にて4代目の十三回忌追善を行った。嘉永6(1853)年4代目古式部と改名,常磐津豊後大掾(4代目文字太夫)とのコンビで常磐津節は隆盛を誇った。「三世相」の功績をめぐって両者は不和となり,万延1(1860)年常磐津・岸沢両派は分裂し,6代目式佐の三味線で立語りとなった。元治1(1864)年竹遊斎を名乗った。作曲に優れ,現存の常磐津節の名曲の大半はこの人の作曲である。主な作品は「角兵衛」(1828),「将門」(1836),「靱猿」(1838),「三人生酔」(1838),「乗合船」(1843),「どんつく」(1846),「勢獅子」(1851),「薪荷雪間市川」(1848)。<参考文献>岩沙慎一『江戸豊後浄瑠璃史』
(安田文吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報