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カナダ カナダCanada

翻訳|Canada

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カナダ
Canada

正式名称 カナダ。
面積 998万4670km2
人口 3489万7000(2013推計)。
首都 オタワ

北アメリカ北部にある国。イギリス連邦を構成する一自治国で,10の自治州と 3准州からなる。アメリカ合衆国のアラスカ州を除く北アメリカ大陸の北半を占め,南はエリー湖中のペレー島の北緯 41°41′から,北はコロンビア岬の北緯 83°6′の間に広がる。面積はロシアに次いで世界第2位であるが,国土の大部分は山地や岩石地,極地で,開発された地域は国土の 3分の1以下。気候はかなり厳しく,1月の平均気温が 0℃以上となるのはバンクーバー付近のみ。耕地や居住地は,南の国境沿いや五大湖沿岸に集中し,中部から北部にかけては広大な針葉樹林帯(→針葉樹林)やツンドラ,氷雪地帯が広がる。地形は,西部太平洋岸のロッキー山脈と東部大西洋岸のアパラチア山脈の両者に挟まれた広大な地域で,高地,平原,低地の 3地域に大別できる。カナダへの植民は,1534年フランス人ジャック・カルティエセントローレンス湾に入り,セントローレンス川沿岸をフランスの植民地ニューフランスとしたのに始まる。しかし,ヨーロッパにおける七年戦争後のパリ条約(1763)により,北アメリカ大陸のフランス植民地がイギリスに割譲され,以後はイギリスの植民地となった。1864年,イギリスの 4植民地が連邦を結成してカナダとなり,1867年イギリス連邦カナダ自治領になった。1931年外交自主権を獲得して完全な独立国となり,1982年新憲法を公布,国権の最高機関を国会とし,イギリス君主は象徴とされた(→立憲君主制)。国民は多くの民族からなるが,イギリス系とフランス系がそれぞれ約 4分の1を占める。フランス系はケベック州を中心に東部の旧フランス植民地に多い。公用語は英語とフランス語。ケベック州では文化の独自性を主張し,分離独立を求める運動が続いている(→ケベック問題)。植民の初期は,タイガでの毛皮獣の捕獲および毛皮の取り引きが主であったが,その後鉱物資源や林産資源の開発と農業開発が進んだ。南部のプレーリー地帯のコムギ栽培と畜産,カナダ楯状地の金,銀,銅,鉛,ニッケル,鉄,ウランなどの鉱業,アルバータ州を中心とする石油,天然ガスの採掘,東部や西部の林業などが盛んで,漁業も重要。五大湖からセントローレンス川沿岸を中心に,食品加工,石油精製,自動車などの工業が発達し,そのほかパルプ,製紙,製鉄,鉄鋼,機械,鉄道車両,ハイテク関連などの工業も盛んである。北大西洋条約機構 NATO原加盟国。国際紛争で中立的な立場が評価され,国際連合のさまざまな平和維持活動に参加している。(→カナダ史

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

カナダ

人口約3400万。米国盟主とする北大西洋条約機構(NATO)の一員。経済面では米国・メキシコ北米自由貿易協定(NAFTA)を結んでいるほか、昨年からは環太平洋経済連携協定(TPP)交渉に参加している。マルルーニー首相ら保守政権(84~93年)のあとの自由党・クレティエン政権(93~2003年)は米国とのあつれきが生じた。06年から再び保守政権。

(2013-03-20 朝日新聞 朝刊 オピニオン1)

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百科事典マイペディアの解説

カナダ

◎正式名称−カナダCanada。◎面積−998万4670km2。◎人口−3516万人(2013)。◎首都−オタワOttawa(88万人,2011)。◎住民−フランス系22.8%,イギリス系20.8%,ドイツ系3.4%,イタリア系2.8%,中国系2.2%(1991。
→関連項目カルガリーオリンピック(1988年)バンクーバーオリンピック(2010年)モントリオールオリンピック(1976年)

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デジタル大辞泉プラスの解説

カナダ

《Canada》イギリス海軍の戦艦。1913年進水、1914年就役の超弩級戦艦。同型艦なし。第一次世界大戦中は、ユトランド沖海戦に参加。1919年、チリ海軍に売却され、アルミランテ・ラトーレと改称。1958年に退役。解体は日本で行なわれた。

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世界大百科事典 第2版の解説

カナダ【Canada】

正式名称=カナダCanada面積=997万610km2人口(1996)=2978万人首都=オタワOttawa(日本との時差=-14時間)主要言語=英語,フランス語通貨=カナダ・ドルCanadian Dollar北アメリカ大陸の北半部を占める広大な国で,面積はロシア連邦に次いで世界第2位。立憲君主制の連邦国家で,10州provinceと3準州(テリトリーterritory)から成る。国名は〈村〉を意味するイロコイ・インディアンの言葉に由来するといわれ,日本では〈加奈陀〉あるいは略して〈加〉の字をあてることがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カナダ
かなだ
Canada

総論

北アメリカ大陸北方に位置するイギリス連邦加盟国で、連邦制に基づく立憲君主国。正式名称Canada。10州provinceと3テリトリーterritory(準州)からなる。1999年4月に先住民イヌイットの初めての自治体であるヌナブート・テリトリー(Nunavut)が創設された。面積997万0610平方キロメートル、人口3161万(2006国勢調査)、3297万(2007推定)。
 カナダの地名については、先住民のイロコイ人の言語のなかの「集落」kanataが語源であるという説があるが、明確な定説はない。
 北は北極海に臨み、東は大西洋、デービス海峡およびバフィン湾、西はアメリカ合衆国アラスカ州と太平洋、南は合衆国本土と境を接している。北限は北緯83度7分(エルズミア島のコロンビア岬)、南限は北緯41度41分(エリー湖中のミドル島)であり、これは日本では青森県むつ市付近にあたる。なお西経144度以東バフィン諸島までの北極海上の島々もカナダに属する。海岸線総延長は世界最大級で、本土のみで5万8500キロメートル、諸島を含むと24万0800キロメートルに達する(日本の海岸線の総延長は2万6500キロメートル)。合衆国とはアラスカ州を含めて2万8843キロメートルの国境線を共有する。面積はロシアに次いで第2位である。寒冷な気候のため農業適地は7%にすぎず、人口の大半は合衆国との境界100キロメートル以内に帯状に居住する。
 この国土の広さと、高緯度からもたらされる寒冷気候は、多くの点で人々の生活を特徴づけている。カナダは六つの時間帯に分かれており、全国で4時間30分の時差をもつ。最東端のニューファンドランド標準時はグリニジ時より3時間30分遅く、最西端の太平洋標準時は8時間遅れとなっている。たとえば、グリニジ時の正午はニューファンドランド州のセント・ジョンズでは8時30分、西端のユーコン・テリトリーのホワイトホースでは4時にあたる。大陸横断鉄道から放送網に至るまで、広大な国土のなかのコミュニケーションの確立のため、惜しみなく財源を費やしているのもその一例である。先進工業国のなかでは例外的に天然資源の豊富な国として知られているが、寒冷な気候ゆえにエネルギー消費量は人口に比して莫大(ばくだい)である。[大原祐子・木村和男]

自然


地形・地質
カナダの地質構造とそれを背景とする地形は、国土の広さのわりに複雑ではない。大別すると、東部大西洋岸のあまり高くないアパラチア地域、西部太平洋岸の高く険しいコルディエラ地域、この両者に挟まれたカナダ北極海諸島とハドソン湾低地、カナダ楯状地(たてじょうち)(ローレンシア台地)、セント・ローレンス川沿岸低地、グレート・プレーンズ(内陸平原)の六つに分けられる。これらの地形の特徴は、大きくは地質構造と密接に関連する地形のタイプを示し、細かくはほとんどの地域が氷河期に大陸氷に覆われ、氷食作用の影響を強く受けた地形を示すことである。
(1)アパラチア地域 アメリカ合衆国アパラチア山脈の続きで、ニューファンドランド州、ノバ・スコシア州、ニュー・ブランズウィック州にまたがる。北東―南西の走向を示す古生層の地質構造を反映して、地形も同方向に連なる。ほとんどが標高500メートル以下の丘陵地と幅の広い谷で構成され、氷河期に覆った大陸氷の影響で氷河湖が多い。
(2)コルディエラ地域 環太平洋造山帯の一環である新期造山帯にあたる。中生代末以後の大きな造山運動により、地層は褶曲(しゅうきょく)、断層活動を受け大きく変位しており、カナダではもっとも不安定な地域である。地形のうえでは東部山地(マッケンジー山脈、ロッキー山脈)、中央台地、海岸山地(コースト山地、バンクーバー島など)の三つに分けられる。最高峰はローガン山(5959メートル)で、高い部分には山岳氷河がみられる。
(3)ハドソン湾低地 堆積(たいせき)以来ほとんど乱されずに、北に緩く傾く古生層からなる構造平野である。この延長部が北のビクトリア島、メルビル島などカナダ北極海諸島の低地に続いている。諸島東部の山地部には現在も氷河が広がる。
(4)カナダ楯状地 ハドソン湾を囲むように広がり、カナダの2分の1以上の地域を占める。地球上でもっとも古いといわれる先カンブリア代の片麻(へんま)岩、結晶質岩などで構成される安定した陸塊で、全体としてハドソン湾をくぼみの中心とし、周囲に高くなる楯を逆さにした地形(標高200~1000メートル)を示す。氷河期に広がった大陸氷の中心地域で、その影響を強く受け、無数の氷河湖がある。
(5)セント・ローレンス川沿岸低地 主として古生層からなり、地層はほとんど乱されていないが、地表は大陸氷の後退時に生じたうねりのある地形を示す。
(6)グレート・プレーンズ カナダ楯状地とロッキー山脈との間に広がる広大な平原。古生代~第三紀の地層が、西部のロッキー山脈山麓(さんろく)付近を除いてほとんど乱されずに堆積したもので、それが長らく侵食を受け、さらに地表は氷河期の大陸氷の影響を受けたうねりのある地形をみせる。[大竹一彦]
気候
極(ツンドラ)地域西部、同東部、コルディエラ北部、同南部、内陸北部、ローレンシア北部、同南部、五大湖南岸、大西洋岸、太平洋岸、プレーリー、プレーリー中央部の12の気候区に分けられる。
(1)極(ツンドラ)地域西部 針葉樹林帯の北側にあり、年降水量250ミリメートル以下の乾燥したツンドラ地域である。7月の平均気温は10℃以下で、南部にみられるような夏はない。
(2)極(ツンドラ)地域東部 針葉樹林帯の北側にあり、年降水量400~500ミリメートルと西部に比べて湿潤である。7月の平均気温は10℃以下で、バフィン島の高い部分には永久氷がみられる。
(3)コルディエラ北部 山地部は極気候を示すが、谷底部は針葉樹林が広がる。気候は、緯度の変化よりも高度の変化により著しく変わる。中央台地地域は著しく乾燥している。
(4)コルディエラ南部 北部に似ているが、相対的に暖かい。
(5)内陸北部 針葉樹林帯北部にあたり、作物生育期は5か月以下、冬が長く、年降水量は少ない。
(6)ローレンシア北部 森林ツンドラ、針葉樹林帯の北東部にあたり、生育期は5か月以下、冬が長く、6か月以上雪に覆われる。
(7)ローレンシア南部 針葉樹林帯の南東部にあたり、年平均気温は6℃以上。冬は厳しいが、北部よりも短い。
(8)五大湖南岸 冬は相対的に温暖で短い。生育期は6か月以上あり、夏は長く、ときには湿潤で暑く、7月の平均気温は15℃を超える。
(9)大西洋岸 冬は相対的に温暖で、秋の終わりから冬にかけて降水が多い。7月の平均気温は15℃を超える。
(10)太平洋岸 カナダでもっとも温暖な地域で、最寒月の平均気温が0℃以上、7月の平均気温が15℃以上であり、生育期は6か月以上ある。年降水量も1000ミリメートル以上で、冬に多い。
(11)プレーリー 暖かい夏と寒い冬との較差が大きい。生育期は5か月以上ある。
(12)プレーリー中央部 プレーリーのなかでも夏はとくに暑く、雨は年降水量400ミリメートル以下と著しく少ない。[大竹一彦]
植生
分布は気候区分と密接な関連があり、北極ツンドラ、高山ツンドラ、ロッキー山地森林(亜高山性森林)、山間地森林、漸移森林帯(森林ツンドラ)、針葉樹林帯(タイガ)、内陸混交林、東部混交林、ナイアガラ森林、太平洋岸森林、プレーリーの11地域に区分される。北極ツンドラはカナダの3分の1を占める北部地域にみられ、永久凍土に覆われる。高山ツンドラはコルディエラ地域の森林限界(1200~2000メートル)より高い部分にみられる。ロッキー山地森林は標高900メートルから森林限界にかけてみられる亜高山性森林で、おもな樹種はトウヒ、モミである。山間地森林はコルディエラ中央部にみられ、ベイマツなどが散在する。漸移森林帯は、ツンドラと針葉樹林帯の間をマッケンジー地区から大西洋岸まで広がる。針葉樹林帯は、内陸北部気候区とローレンシア北部気候区との南部を、アラスカとの国境からニューファンドランドまで広がり、マニトバ州以東では重要なパルプ材開発地域となっている。プレーリー北側の内陸混交林は針葉樹林帯の一部とみられている。東部混交林はローレンシア南部気候区にほぼ一致する。ナイアガラ森林はカエデ、ブナなどの広葉樹林帯である。太平洋岸森林は、温暖湿潤な気候のもとで、カナダでもっともみごとな森林地域となっており、ベイスギ、ベイツガなどを主とする針葉樹林がみられる。プレーリーは、北部のパークランドといわれる内陸混交林との漸移地域、その南の混合草原地域と短草原地域に分けられる。[大竹一彦]

地誌


 1867年に東部4州が合併してカナダ連邦を結成したとき、人口330万のうち、オンタリオ州に46%、ケベック州に35%、ノバ・スコシア州に11%、ニュー・ブランズウィック州に8%が住んでいた。現在は6州を加えて10州、3テリトリー(準州)となる。大西洋岸から太平洋岸に達している。国土は東西5550キロメートル、南北4633キロメートルと広大である。人口の約90%はアメリカ合衆国と接する国土の約11%に集中しており、地理的には次の五大地域に区分される。[三橋節子]
大西洋岸諸州
東部のプリンス・エドワード島、ニュー・ブランズウィック州、ノバ・スコシア州を含む沿海諸州にニューファンドランド島を加えた行政地域。低賃金・低成長の経済地域であり、旧習を固く守っていることでも知られる。地形的にはアパラチア褶曲(しゅうきょく)山系の北東部に属し、低い山や湾入海岸線に富む。石炭紀の水平層がニュー・ブランズウィック州東部、プリンス・エドワード島およびノバ・スコシア州北部の低地を占める。製紙・パルプ工場は、製品がおもに輸出されるため河口に立地する。都市の分布は林業に関連し、ニューファンドランド州のグランド・フォールズ、ニュー・ブランズウィック州のダルウージ、エドマンズタンおよびニュー・カッスル、ノバ・スコシア州のリバプールおよびシート・ハーバーはパルプ産業に依存している。商業的農業は大都市との交通の便に関連し、ニュー・ブランズウィック州やノバ・スコシア州およびプリンス・エドワード島に広がっている。ニューファンドランド州やノバ・スコシア州には小さな漁村が海岸沿いに散在している。集落は海岸沿いに発達し、人口5000~1万人程度で、多くの場合は1産業、1業種に依存している。ハリファックス、ダートマス、セント・ジョン、セント・ジョンズ、モンクトン、シドニー、フレデリクトンなど少数の都市には、製造、運輸、港湾、商業、行政およびサービス業などが存在する。[三橋節子]
五大湖―セント・ローレンス低地
ケベック州とオンタリオ州を含む中央カナダ南部地域。カナダでもっとも重要な農業地帯であり、都市地域である。この狭い低地に全人口の半分以上が住み、工業製品のおよそ4分の3が生産される。人口10万以上の大都市がもっとも多く存在し、周辺の農地は、最大都市トロント(人口511万。2006)とモントリオール(人口364万。2006)の住民の食糧を生産する。地理的には国の中核地で、都市・工業・農業活動の密度が高いのが特徴である。ケベック州南部のフランス系集落とオンタリオ州南部のイギリス系集落の間には文化の差が現れている。ケベック州南部の田園風景は細長い農地に線状の村落が発達し、オンタリオ州南部の四角い農地に散村があるのと対照的である。7月の平均気温が20℃以上に達し、無霜期間が150日から175日あるため、国内でこの低地に栽培される特有の作物(タバコなど)がある。酪農業のための農地は乾草、牧草および飼料穀物の割合が高い。オンタリオ州南部は特産物により次の3地域に区分される。
(1)南西部の半島 カナダの大豆やトウモロコシの多くを生産し、都市周辺で野菜が栽培される。
(2)エリー湖北部の氷河デルタの砂地 タバコの主要栽培地域である。
(3)ナイアガラ半島の果樹栽培地帯 比較的広い園芸農業地域である。
 豊かな農地を背景として、この低地には各都市がそれぞれ特徴をもちつつ相互に関連しあっており、1000万人以上の人が住み、工業、商業、運輸、サービス、レクリエーション活動が密接につながっている。ケベック州南東部の交通中心地シャーブルックは、教育やサービス産業などの産業をもつ。ケベック市は政府、教育、宗教などのセント・ローレンス川下流地域での中心地的機能を果たす。オンタリオ湖西端のオシャワからハミルトン、さらに東にセント・キャサリンズやナイアガラ・フォールズ市へかけてのオンタリオ州南部は、都市が連合している。オンタリオ州南部の他の地域は大都市ロンドンを中心とした豊かな農地の中心にあり、サービス、商業、工業地域をもち、国際都市ウィンザーも南西部にある。[三橋節子]
コルディエラ山系
メキシコからアラスカにかけて延びるコルディエラ山系には、ブリティッシュ・コロンビア州のほとんどとユーコン・テリトリー(準州)が含まれる。都市人口はブリティッシュ・コロンビア州南西部に集中し、60%に達する。海岸は気温が穏やかで、降水量が多く大木が生育するため大森林地帯が存在する。ブリティッシュ・コロンビア州の主要経済は林業である。第二次世界大戦後世界の林産品の需要が増し、鉄道や道路輸送の改良により、林業は内陸部へ発展し、プリンス・ジョージ、カムループスなどの交通の要地やブリティッシュ・コロンビア州南東部に林業関連産業が広がった。西岸の漁業のおもな漁獲はサケで、魚類の缶詰工場はフレーザーおよびスキーナ両河川付近に立地する。南東部は鉱物が豊富で、トレールの大精錬所へ種々の鉱石が運ばれ、クートネー地域は鉱山の主要集中地となった。1960年代後半から、日本の資本と市場はここの銅や鉄山の発展を促した。電力は最初、バンクーバーやバンクーバー島南部から供給されたが、送電技術の発達とともに遠距離から送電するようになった。たとえば南東部ではトレールの大精錬所や都市への電力はおもにクートネー川から供給され、北西部ではキティマットのアルミニウム大精錬所に供給するため、フレーザー川支流のネチャコ川にダムをつくり、ケマノで発電した。1960年代の終わりには北東部のピース川でも発電が開始されたが、長距離送電技術がこれを可能にしたのである。この地域の人口の半数は大バンクーバー都市地域に住み、10%はフレーザー川下流とバンクーバー島南部のビクトリア付近に住む。[三橋節子]
内部平原
マニトバ州、サスカチェワン州、アルバータ州の西部3州に広がる平原地域。この地域は冬たいへん寒いが、南東部、南西部は比較的温暖な時がある。それは南東部ではメキシコ湾からの暖かい気団が数日寒波を遮るため、また南西部ではロッキー山脈東斜面から吹くシヌック(フェーン現象による乾いた暖風)が数時間から数日気温を上昇させるためである。人口はプレーリー草原に集中し、北部の広い地域は森林に覆われている。栽培作物は土壌分布と環境条件により異なる。アルバータ州とサスカチェワン州との州境の、降水量の少ない地域に褐色土が分布し、丈の低い牧草地となっている。褐色土の周囲に濃褐色土が分布し、降水量が若干増えるため丈の高い草地となり、小麦の栽培に適している。黒色土はその外側の半円地帯を形成し、年降水量は400~500ミリメートルである。肥えた土壌に恵まれたこの地域は、小麦に加えて飼料穀物、採油植物、牧草、牧牛などに適している。北に向かうにつれて土壌は黒色土からポドゾル(灰色樹木土)に変わり、混交林に覆われる。農作物はおもに小麦、飼料穀物、亜麻(あま)、採油植物、豆類で、四角く広い農地に少品種の作物を栽培する。鉱物資源は豊富で、カナダにおけるポタッシュ(カリ肥料)、石油、天然ガスおよび硫黄(いおう)のほとんどのほか、石炭、岩塩、石膏(せっこう)を産する。1947年にエドモントン近郊のレデュークに最初の大規模な油井が発見されて以来、新しい油井はパイプラインでつながれ、北西部はブリティッシュ・コロンビア州へ、北東部はアサバスカ地域へと掘削されていった。[三橋節子]
北方地方
ハドソン湾の周囲に広がるカナダ楯状地にユーコン・テリトリー(準州)とノースウェスト・テリトリーズおよびヌナブート・テリトリーを加えた地域。ノースウェスト・テリトリーズは、イヌイットの地で木も資源もほとんどない北東部の北極地方と、現在は白人も住んでいるがもともとはアメリカ先住民の故郷で、資源開発の可能性があるマッケンジー川流域の亜北極地方とに分かれる。セント・ローレンス低地、オンタリオ州南部、プレーリーの北部には、荒野で土壌の少ない楯状地が国土の半分を占めて広がっている。楯状地の南端部は混交林で覆われ、北部の森林は大部分が針葉樹で、木材や紙パルプの原木を生み出している。1999年4月、ノースウェスト・テリトリーズの東半分を分離し、イヌイットの自治体であるヌナブート・テリトリーが創設された。
 19世紀末、鉄道の建設によりサドベリー盆地が開発され、20世紀初めにはコバルト(地名)に銀が、ポーキュパインとカークランド・レークに金が発見された。20世紀中ごろ、ラブラドルとケベックの境界線近くに鉄鉱山が開発され、ほかに金属や、サスカチェワン州北部ではウラニウムが開発され、小集落を形成している。楯状地は水力発電を可能にし、その電力で紙パルプ業や鉱業を発展させた。ラブラドルのチャーチル川やマニトバ州のネルソン川で大規模な水力発電が行われ、1970年代初め、ハドソン湾に沿って半円形状に発電所が建設された。[三橋節子]

歴史


 現在のカナダの地域とヨーロッパ人との接触は紀元1000年前後に始まったと考えられている。しかし、本格的には、コロンブスのいわゆる「アメリカ発見」から5年後の1497年、イギリス国王ヘンリー7世がジョン・カボートにカナダ東海岸を探検させたのが始まりである。同じころからスペイン人、ポルトガル人なども北アメリカ沿岸を探検していた。1605年フランス人がノバ・スコシア付近に植民地の建設を試み、1608年ケベックに移動した。
 イギリス人の進出は1621年のノバ・スコシア植民地の建設とともに本格化し、ニューファンドランド、ニュー・ブランズウィック、プリンス・エドワード島などに、互いに独立した多くの植民地をつくった。ヨーロッパにおけるイギリス、フランスの対立を反映してカナダにおいても両国植民地間の抗争は激化し、1759年、1760年にイギリス軍がケベック、モントリオールを占領し、1763年のパリ条約でフランスのカナダ植民地はイギリスに割譲された。
 1861年、アメリカ合衆国に南北戦争が勃発(ぼっぱつ)すると、カナダの諸植民地が分散状態のままではアメリカ合衆国に合併される危険もあるので、1867年「英領北アメリカ法」によって英領北アメリカ植民地は、自治領として統合された。1926年、他の自治領とともに完全自治をイギリス議会により認められ、1931年、主権国家としてイギリス連邦を構成することが法制化された。さらに1982年、「1982年憲法」がイギリス議会で可決され、独自の憲法修正権をもつことになった。その間、1949年には国の正式名称をカナダCanadaに改め、1965年には、ユニオン・ジャックを一部に用いていた国旗をメープル・リーフ(カエデ)に変えて、独自性を強めた。1993年に調印された先住民とカナダ政府による合意に基づき、1999年4月、先住民イヌイットの自治体であるヌナブート・テリトリー(準州)が、ノースウェスト・テリトリーズから分離して創設された。[大原祐子・福田靖一]

政治・外交


憲法
カナダはイギリス国王を元首とする立憲君主国で、連邦制度をとっている。イギリスと同じく慣習法の伝統にたっているため、「1982年憲法」のほかにも、「英領北アメリカ法」を改称した「1867年憲法」をはじめ、憲法上の事柄に触れる過去の重要法令も維持している。
 1867年イギリス議会で制定された「英領北アメリカ法」は、部分的な訂正を加えられてはきたものの、百十有余年にわたってカナダ統治の基本法のもっとも重要な部分を占めてきたが、1920~1930年代に完全な独立を達成して以来、長らく現代政治との不適合性が問題とされてきた。連邦政府と各州政府は、この修正方法について何回もの折衝を重ねながらも合意に至らなかったが、1981年11月、ついに連邦政府とケベック州を除く9州の政府の間で条文化の合意が成立し、55年間にわたる懸案に決着がついた。決議案は1981年末カナダ連邦上・下院を通り、1982年にはイギリス上・下院で可決され、1982年4月17日、エリザベス女王臨席のもとに「1982年憲法」として公布された。この憲法は自主的に制定され、初めて「権利と自由の憲章」を明文化し、修正がすべてカナダでなされることを規定した点で、画期的である。[大原祐子・福田靖一]
行政・立法・司法
連邦行政府は、イギリス国王の代行者としての総督(内閣の推薦によりイギリス国王が任命するカナダ人)と、首相を含めた閣僚(2008年10月時点で38人)をもつ内閣からなる。下院で過半数の議席をもつ政党の党首が総督の任命により首相となり組閣する議院内閣制度で、下院に過半数の議席をもつ政党がない場合には他の政党から支持を得て、下院で信任を得られると思われる党首を任命する。各省の大臣である閣僚は下院から、無任所大臣のみが上院から選任される。したがって、内閣は、不信任案の通過や重要法案の否決、または下院の任期(5年間)満了によって総辞職する。
 立法府もイギリス国王代理の総督と上・下両院で構成される。上院の議席は105で、75歳定年である。オンタリオ州とケベック州から各24名、ニューファンドランド州から6名、北東沿岸のニュー・ブランズウィック、ノバ・スコシア、プリンス・エドワード・アイランドの3州から計24名、西部のブリティッシュ・コロンビア、アルバータ、マニトバ、サスカチェワンの4州から計24名、ユーコン、ノースウェスト、ヌナブートの3テリトリーから各1名(計3名)を、地域代表として首相の指名により総督が任命する。上院は公共支出または課税を伴う法案の発議権をもたず、予算案も提出できない。
 下院の議席は人口比で変動するが現在は308(2008年11月時点)。選挙は小選挙区制で行われ、任期は5年。
 19世紀以来、自由党と進歩保守党で二大政党制を形づくってきたが、1993年10月の総選挙で進歩保守党が歴史的敗北を喫し、二大政党制は崩壊した。2003年進歩保守党とカナダ連合が合併して保守党となった。現在の政党議席数は保守党143、自由党76、ブロック・ケベコワ(ケベック連合)50、新民主党37、無所属2となっている(2008年11月時点)。ケベック連合は、1990年にフランス系の民族的権利を高めるために結成され、もっぱらケベック州を基盤としている。
 カナダの司法制度では連邦および各州にそれぞれ裁判所がある。
 連邦司法府を構成するおもな機関は連邦最高裁判所と連邦裁判所であって、前者は1875年、後者は1970年に創設された。後者は1875年の創設になるカナダ財務裁判所を受け継いだものであり、連邦政府に対する訴訟、税金関係、商標、版権、著作権などから生じる問題を扱う。連邦最高裁判所は連邦裁判所および各州の上級裁判所からの上訴を審理し、最終決定を行う。
 州の裁判所には、おもに刑事事件を扱い、少額の民事、少年・家庭裁判所も置く州裁判所と、とくに重大な刑事、民事事件を扱う上級裁判所、下級裁判所からの控訴を扱う控訴裁判所がある。
 商取引や財産権、家族間の問題など、民事を扱う法律は州によって異なっており、ケベック州を除く9州では裁判所が下す判例によるコモンロー(慣習法・判例法)に基づき、ケベック州ではさまざまな状況に対応した原則や規則を条文化した民法に基づいている。[大原祐子・福田靖一]
州政府
地方行政府としての州政府の構成はすべて連邦政府に準じている。すなわちイギリス国王の代理として副総督が存在し、連邦政府における総督の役割を果たしている。行政府は議院内閣制であるが、立法府は上院がなく下院のみである。
 フランス系住民が大多数を占めるケベック州では連邦からの独立運動が盛んで、1980年と1995年に独立か否かを問う住民投票が行われた。ともに否決されたが、1995年の投票では独立賛成票が49%に達し、連邦政府を悩ませる問題となっている。[大原祐子・福田靖一]
連邦制度の特徴
制度的な面と歴史的な面に分けて考えてみたい。もっとも重要な制度的特徴は、「英領北アメリカ法」の91条と92条に明記されている連邦政府と州政府の権限の分割である。連邦議会および連邦政府はカナダ全体にかかわる事項、すなわち防衛、課税による財源の調達、国家間および州間の通商、交通、通信、通貨の発行、先住民族およびその居留地の管轄等の権限が属する。
 一方、州議会および州政府に属する権限として、教育、財産権、病院、地方自治体の創設、裁判、天然資源の管轄、州のために使われる財源としての課税をはじめとして、州におけるすべての地方的・私的性質の事項があげられている。しかし時代の進展とともにこの分割はあいまいなものとなってきている。たとえば市民生活に関連の深い老齢年金などは、連邦政府の権限に入るのか、州政府の権限に入るのか、といった問題である。「1982年憲法」では、地域格差の是正や非再生天然資源の所属といった現代的な問題について明記されることが期待されたが、原則の表明にとどまっている。[大原祐子・福田靖一]
外交
カナダは第二次世界大戦のときのマッケンジー・キング首相以来、大国でも小国でもない「中道国家」としての地位を確立することを目標としてきた。したがって、同じ北アメリカ大陸に位置する国としてアメリカ合衆国とは北大西洋条約機構(NATO(ナトー))、北米航空宇宙防衛軍(NORAD)を通じて密接な関係を保ちながらそれにふさわしい国防政策を採用してきた。すなわち、集団安全保障への参加と、約6万2500(2006)の兵力を擁するカナダ軍(陸・海・空軍を統合)の維持である。一方、外交的には、アメリカとは一線を画す政策がとられてきた。1960年代後半に展開されたベトナム戦争批判、1970年の中国との国交樹立はその例である。トルドー首相(1984年6月辞任)はこうしたカナダの路線を「第三の選択」とよび、カナダはアメリカ合衆国との間にもつ友好関係を、EC諸国とアジアとくに日本との間にも確立するとした。この線に沿って1976年には「日加文化協定」が締結され、日本とカナダの間の文化的交流が歴史上初めて活発化している。
 カナダにとって隣国アメリカとの自由貿易問題は、経済ナショナリズムや政治的自立の問題とも絡む論争の的であり続けた。1989年には保守党政府の主導で米加自由貿易協定が発効し、1993年にはメキシコをも含んだ北米自由貿易協定(NAFTA(ナフタ))が批准された。以後、対米貿易が好調となり安定した成長を続けてきた。また湾岸戦争時には国際連合に同調して兵を送った。イラク戦争への参加は拒否したが、国連やNATOによる平和維持活動(PKO(ピーケーオー))には積極的に参加している。
 このほかカナダは、歴史的伝統からイギリス連邦諸国、とくにイギリス連邦に属するアジア・アフリカ諸国との連携、あるいはフランス語圏諸国との交流が密であることが特徴的であるといえよう。[大原祐子・福田靖一]

経済・産業


 カナダは建国以来、イギリスへの資源の供給地、イギリス製品の市場という植民地経済をとってきた。そのため、第一次世界大戦までの農業(小麦)拡大の時代(1900~14)には、主としてイギリスから長期投資を受けていた。しかし、第一次世界大戦後の工業発展期(1918~30)になると、国境を接するアメリカが直接投資によって企業を支配し始め、1926年にはイギリスの投資残高を超えるに至った。その結果、第一次産業への依存度はしだいに薄らぎ、製造業を中心とする工業が急速に成長していった。
 さらに、第二次世界大戦後には、政治的にもイギリスとの関係が弱まり、とくに鉱物資源の供給地として注目されて、アメリカ資本が投入され、アメリカとの経済関係が強化された。連邦政府も鉱物資源の探査と開発には多額の資本と技術が必要なため、世界それを受け入れた。またアメリカ企業は、イギリス連邦特恵関税を採用しているカナダに対して、輸出品に高関税をかけられるのを避ける目的で、カナダの製造業へ直接投資を行った。政府は外資、とくにアメリカ資本の支配を恐れて、1974年外資審査法を施行し、外国資本の進出に対し、その外資がカナダ経済に貢献するかを審査することになった。しかし1980年の国家エネルギー計画で、エネルギー関連の外国多国籍企業のカナダ化を遡及(そきゅう)的に行ったため、1984年の選挙で自由党政府は敗退した。1985年進歩保守党政府はカナダ投資法を制定し、新設カナダ企業および中小カナダ企業の買収は届出するだけでよくなり、外資が自由に導入されることになった。1989年には米加自由貿易協定が発効し、アメリカ・カナダ間の関税を10年間で全廃することによって、カナダへの投資に2億7000万人の市場を相手にする好条件が生じた。1994年北米自由貿易協定(NAFTA)が発効し、カナダ、アメリカ、メキシコ3国で3億6300万人(2007年には4億3700万人)の消費者となり、関税の引下げなどで北米地域内経済はさらに緊密になった。現在カナダは、複雑精巧な工業部門をもつ技術先進国であると同時に、原料や半製品の有数の輸出国でもある。国内総生産(GDP)は1兆4248億ドル(2007)、国民1人当りGDPは4万6000ドル(2007)となっている。[三橋節子]
鉱物資源
カナダは豊富で多様な鉱物資源に恵まれている。カナダに国際競争力のある高度な製造業が発達したのも資源のおかげであり、その存在が世界市場でカナダを有利な立場に置いている。カナダの天然資源埋蔵量は世界第3位を占め、鉱物の生産量では、アメリカ、ロシアに次いで世界第3位、輸出額では第1位である。鉱物の輸出額は輸出総額の約13%を占め、生産量の半分以上が世界九十数か国に輸出されている。
 ウランの生産では世界第1位、金、ニッケル、アスベスト、タングステン、モリブデン、チタン、石膏(せっこう)、硫黄(いおう)、プラチナメタル、コバルト、鉛、マグネシウム、銅などでも世界上位生産国に入る(2006)。しかも開発可能埋蔵量は、以前の推定を超えて増加してきた。たとえば、1960年以前、ブリティッシュ・コロンビア州の銅生産高は記述するにあたらないほどであった。従来カナダの銅山では、含有量2%以下の等級のものは経済性がないため鉱石とはみなされていなかった。しかし、日本の銅需要を満たすため長期契約が結ばれると、広大な地域にわたって開発が行われ、含有量1%以下の鉱石もその対象となったのである。この結果、州の銅鉱石開発可能埋蔵量を大きく増加させた。しかしカナダの鉱山・精錬業の多くが外国企業の支配下にあり、とくに鉱山部門は外資の占める割合が多いという問題点がある。カナダでも資源ナショナリズムは高まり、とくに鉱物資源の場合には州政府に開発管理権が属しているため、資源をカナダで加工して製品として輸出すべきであるという加工度向上政策が、産業構造高度化政策の一環として唱えられている。しかし精錬所の建設には住民の反対があるうえ、市場が小さく経済性が低いため、精錬所が不足している。[三橋節子]
資源の開発
近年大型資源開発プロジェクトが進行しているが、1980年10月、連邦政府が1990年までに石油を自給自足する国家エネルギー計画を発表し、これを達成するため大掛りな探査・開発に多額の予算をあてたことによるニューファンドランド州沖のハイバーニア油田は、連邦政府が支援した最初の巨大プロジェクトで、州都セント・ジョンズの東南東315キロメートル、平均水深101メートルにある。1990年に沖合いの設備の建設が始まり、1997年には生産が開始、2007年には日産37万バレルを産出した。また、1994年にはニューファンドランド州ラブラドル海のボアジー湾地域に、良質のニッケル、銅、コバルト埋蔵地域が発見された。鉱物含有率が高いことと、地表に近く露天掘りができるため、当時の世界生産高の15%が産出可能で、1999年に操業を開始した。サスカチェワン州北部のキー湖、クラフ湖およびラビット湖では、1960年代終わりからウラニウムを採掘している。同州北部サスカトゥーン市から670キロメートルのスィガー湖では、1990年代に入って平均7.7%含有の良質のウラニウムが450メートルの地下に発見され、大プロジェクトを開始している。
 カナダ西部のオイルサンドはカナダ最大の石油資源で、オイルサンドから得られる原油を含めたカナダの原油埋蔵量はサウジアラビアに次いで世界第2位の1806億バレルとされている。アルバータ州アサバスカ、ワバスカ、コウルド湖、ピース川に埋蔵されており、州北東部と中部の7万7000平方キロメートルに及ぶ。また、アルバータ州ではカナダで生産される石炭(2930万トン。2004)の約半分を産出している。ケベック電力公社は他州やアメリカにも電力を輸出している。州北西部ジェームズ湾地域の大規模な電源開発も行われている。カナダは世界有数の水力発電国で、発電量は世界第6位(2004)、電力輸出量は第2位となっている。[三橋節子]
農業
カナダの農業は高度に専門化され、最新技術を駆使して生産性が高い。農地面積は約6750万ヘクタール(耕地・樹園地5211万ヘクタール、牧場・牧草地1539万ヘクタール。2005)、農業就業者数は約35万3000(2004)。農業人口の労働人口に占める割合は、2.1%にすぎないが(2004)、高度に機械化、商業化されているため、農水産物(食料品)輸出高は輸出全体の約5.8%に達している(2006)。全農地の5分の4を平原3州(サスカチェワン、アルバータ、マニトバ)で占め、農業・畜産業の中心となっている。農作物を収穫面積の広い順にあげると、小麦(865万ヘクタール)、菜種(582万ヘクタール)、大麦(405万ヘクタール)、オート麦(185万ヘクタール)、エンドウ(146万ヘクタール)、トウモロコシ(136万ヘクタール)、大豆(117万ヘクタール)、ヒラマメ(53万ヘクタール)などで、穀物や採油作物中心である(2007)。カナダ産小麦はパンの原料に最適といわれ、平原諸州でとれる小麦の約7割は輸出されている(2006)。また、飼料作物も広く栽培されている。
 穀物に次いで重要なものが畜産である。肉牛はおもに平原地方で飼育され、トロント、モントリオールなどの東部の消費地に出荷されるが、最近はオンタリオ州とケベック州でも飼育が盛んとなっている。飼育頭数順に、ウシ(1416万頭)、ブタ(1381万頭)、ヒツジ(88万頭)で、そのほかニワトリ、シチメンチョウなどの家禽(かきん)が1億7250万羽となっている(2007)。牛乳の約8割はケベック、オンタリオ両州で生産される。乳牛は加工肉の供給源ともなり、国内の食肉の4分の1を担っている。酪農品、鶏卵鶏肉、シチメンチョウも自給可能である。食料自給率はカロリーベースで145%(2003)である。またリンゴ、モモ、プラム、サクランボなどの果実栽培は、オンタリオ州のナイアガラ半島や、ロッキー山中のオカナガン盆地で行われている。[三橋節子]
水産業
カナダは24万キロメートルの長い海岸線を有し、また東西両岸に広がる大陸棚は魚類の豊かな餌場(えさば)となり、年間約107万4000トン(2006)の漁獲量をあげている。大西洋沿岸ではタラ類、カレイ・ヒラメ類、ニシン、ロブスター、ホタテガイ、カニなど80万トン(2005)、太平洋沿岸ではサケ、ニシンなど25万トン(2005)の漁獲量がある。
 水産業従業者数は約12万人(1995)。連邦政府は1971年改正された領海漁業水域法に基づき、東西沿岸に漁業閉鎖線を設定した。また、その内側の水域約8万平方海里(27万4400平方キロメートル)を専管漁業水域とする総督令が発効した。これにより、大西洋岸ではセント・ローレンス湾およびファンディ湾全域、太平洋岸ではクイーン・シャーロット諸島およびバンクーバー島を結ぶ線の内側の広大な水域が含まれることになった。さらに1977年には漁業資源保護管理のため、東西両岸に200海里漁業水域を決定した。
 1990年代初頭大西洋岸の底魚が激減し、マダラ資源の危機が叫ばれた。1992年連邦政府はタラ漁の一時禁止を宣言した。カナダは環境と開発に関する国連会議(地球サミット)で、公海における漁船操業を抑制するための国連会議の開催を要求し、1993年の会議で、カナダや他の沿岸諸国は、200海里漁業専管水域を越えて移動する魚資源に対する沿岸諸国の権利強化を含む草案を提出した。
 カナダの水産物輸出高は36億8300万ドル、輸入高は18億4200万ドル(2006)である。
 1995年における日本のカナダからの輸入品目中、魚貝類は7.6%を占め、その額は8億8300万ドルで、日本の水産物輸入国の第8位に入っていたが、北米、ヨーロッパ、中国などでの魚貝類の消費量増加とともに、カナダからの輸入量は年々低下して現在は10位以下となっている。おもな輸入品目はサケ、イクラ、数の子、カニ、ロブスター、ニシン、ウニ、エビ類などである。[三橋節子]
工業
1960年代以降は、アメリカ資本、革新技術の流入によってカナダの工業は質的に充実した。1970年代末、カナダの製造業の生産額は国内総生産(GDP)の4分の1に達し、その就業人口は総就業人口の5分の1に相当した。
 2003年の製造業の生産額は国内総生産の15.4%、就業人口は総就業人口の12%となっている。従業員数の多いものは、(1)食料品工業(食料、飲料)、(2)金属および金属製品業、(3)自動車および輸送用機械器具となっている。次いで紡織、衣類などのアパレル、化学製品、電気機械器具および通信装置、紙・パルプ、家具、スポーツ器具などである。
 カナダのパルプ生産量は世界第2位、紙・板紙生産量は第6位、新聞用紙生産量は第1位となっている(2002)。
 国内総生産(GDP)に占める割合が高い製造業の業種は、自動車、航空機などの輸送機械工業、電気機器工業、食料品工業、紙および紙製品工業、化学および化学製品工業、金属および金属加工業などである。GDPに占めるサービス業と製造建設業の割合は1995年には60%と25%であったが、2003年には72%と20%に変化している。近年は、工業製品のなかでとくにハイテク製品の開発・応用分野では世界市場の一角を開拓し、バイオテクノロジーと情報技術で認められている。自動車、電機、化学工業では、アメリカに本拠を置く企業の分工場化しているケースが多く、日本からも自動車工業が進出している。[三橋節子]
貿易
2007年の貿易額は、輸出4174億ドル、輸入3782億ドルで、国内総生産(GDP)に占める総輸出額の割合が34%と貿易依存度(対外依存度)が高くなっている。とくにアメリカへの依存度が高く、輸出が79%、輸入が55%(2007)に達しており、輸出品目中原材料の比率が高く最終製品の比率が小さいことが特色となっている。
 輸出の主要品目は、自動車および部品、機械類、原油、天然ガス、石油製品、木材、新聞用紙およびパルプ、プラスチック、小麦などである。輸入の主要品目は、機械類、自動車関連、ベネズエラや中東からの原油、鉄鋼、医薬品、精密機械などが上位を占める。
 輸出相手国は1位がアメリカ合衆国(79%)、2位イギリス、3位日本、4位中国、5位メキシコである。
 輸入相手国は1位アメリカ(55%)、2位中国、3位メキシコ、4位日本、5位ドイツである(2007)。2007年の貿易収支は392億ドルの黒字である。
 カナダの重要な貿易品目は自動車で、2006年の輸出の17%、輸入の17%を占める。次は機械類で、輸出の13%、輸入の27%に及ぶ。エネルギー資源(原油、天然ガス)、農林水産品は全輸出額のそれぞれ15%、8.5%にあたる。
 日本との貿易では、2007年、輸出が99億6500万ドル、輸入が105億1000万ドルに達した。日本からの輸入は、1960年代は繊維品、雑貨、金属製品が主であったが、1970年代に入って乗用車、テレビ、カメラなどが急増し、1970年代末にはこれら機械類が60%を占めるようになった。一方、対日輸出では、1960年代は小麦、木材、パルプなどが中心であったが、1970年代には鉱石が急増し、1970年代末には金属原料、鉱物性燃料が40%を占めるようになった。ついで農産物、林産物が多く、水産物、畜産物も増大している。
 カナダの日本への輸出品目上位は瀝青(れきせい)炭、菜種、銅鉱、木材、豚肉、木材パルプ、メスリン、アルミニウム合金など。日本からの輸入品目上位は自動車および部品、飛行機、ヘリコプター等の部品、テレビカメラ、ビデオカメラ、デジタルカメラ等、プリンタ、複写機などとなっている。日本のカナダからの輸入の大部分が粗原材料で、最終製品の少ない点でカナダ側に不満を残している。[三橋節子]
金融・財政

国際収支
1970年代のカナダの国際収支は世界経済の動きに左右された。すなわち第一次オイル・ショックによる1972年から1974年初めにかけての世界的な商品価格の急上昇によって、1973年には27億ドルにも上る商品貿易の黒字となった。しかし1973年後半、国際原油価格の4倍の引上げ後は、世界景気の急激な後退に影響されて、カナダの輸出も減退した。商品貿易の黒字は1974年に低減し、1975年には5億ドルの赤字に転じた。しかしそれ以降はふたたび黒字へ転換し、1977年には29億ドル、1979年には40億ドルに至った。これは、主要貿易相手国の景気回復が要因となっている。
 このようにカナダの財政は石油ショック以来歳入と歳出のアンバランスが続き、公的債務が増大し、そのうえ公債に対する利子が上乗せされてさらに多くの公的債務となり、財政赤字の削減が急務となった。
 1989年から1993年の間、カナダは財とサービスの輸入超過となった結果、赤字額は5年連続GDPの4%に近かった。しかしカナダの競争力が増大すると輸出は急増し、収支は1993年の30億ドル以上の赤字から、1994年にはカナダドル安も手伝って44億ドル、1995年は190億ドルの黒字となった。以後1997年より財政黒字を続けている(2007)。2007年は95億ドルの黒字で、累積債務の削減にあてられている。[三橋節子]
財政政策
1971年に始まる経済成長期は、OPEC(オペック)(石油輸出国機構)の価格政策による世界的景気後退のため、1974年に終結した。カナダは生産と雇用の拡大を目ざして、財政・金融面で刺激政策に転じた。1974~1975年の景気後退は、多くのOECD(経済協力開発機構)諸国に比べて穏やかではあったが、高インフレが続いたため、1975年10月、3年間の賃金・物価統制政策と、名目需要の伸びを抑える政策をとった。その結果、実質GNPの伸びは維持され、インフレもピーク時(1975)より緩和された。しかし、1979年に始まる第二次オイル・ショックの国際的影響と国内外のインフレおよび金利の上昇に起因して、1980年には実質GNPの伸びが突如ストップした。主要OECD諸国では、このインフレ再燃に対し財政・金融面で引締め政策をとり、インフレ圧力を抑えることができたが、カナダでは、1982年以来実質GDP成長率はマイナス成長が続いた。
 1981年と1990年の不景気の際に、金融当局がインフレ抑制のために金利を上げた結果、各企業も工場や設備への投資を削減した。また1990年の景気後退時には、政府は歳出を削減した。OECDの多くの国も景気が後退したが、とくにカナダはGDPが急落し、失業率もOECD諸国より高かった。しかし3年後には回復の兆しがみえ、輸出が上昇し、GDPも上昇した。1993年12月、政府と中央銀行であるカナダ銀行は1995年から1998年までの期間のインフレを1~3%の範囲にとどめる目標を掲げた。そして1993年には経済成長率2.2%、1994年4.5%の高成長率を達成、1994年初めにはトロント株式取引所が史上最高値を記録した。しかし1994年12月のメキシコ危機以来、アメリカ経済の一時的成長率鈍化の影響を受け、1995年の成長率は2.4%にとどまった。財政赤字圧縮のため、1995年度予算は超緊縮型である。1996年の経済成長率は1.5%である。
 そのアメリカ経済の回復とともにカナダ経済の成長率も回復し、2004年には3.1%に達し、2005年から2007年は実質成長率3%前後を維持している。[三橋節子]
対外援助
カナダは、世界貿易の拡大および開発途上国の経済開発の促進を目的とする各種の国際機構、国際的計画に参加し、国連開発計画、世界食糧計画、コロンボ計画などの主要メンバーである。1970年代末には11億6500万ドルを開発援助(ODA)に費やし、それは対GNP比で0.5%に相当した。このうち48%が二国間援助、42%が多国間援助、6%が非政府機関援助、3%が国際開発研究センターに割り当てられた。援助条件は無償援助の割合が大きく、開発融資の大部分は無利子、返済期間50年(据置き期間10年)という寛大なものである。配分はイギリス連邦のアジア・アフリカ・カリブ海諸国、フランス系アフリカ諸国に集中していた。
 1968年カナダ国際開発庁(CIDA)が設立され、政府援助計画の大半はここで扱われるようになった。1990年代初期、CIDAは政府開発援助の約75%を管轄し、残りの25%は大蔵省など他の連邦省庁や、カナダに本部を置く種々の開発機関を通して援助した。援助額では西側諸国中7位で、途上国に31億ドル余(国民1人当り約120ドル)GNPの約0.5%を低開発のアフリカ、アジアやラテン・アメリカ諸国に、補助金や拠出金として提供した。カナダ援助の半分近く(13億ドル余り)は二国政府間の援助で、開発計画やプロジェクト、人道主義的援助、食料援助、奨学金や訓練計画などにあてられた。16億ドル以上は、非政府組織(NGO)など内外の援助パートナーと、大学、労働組合、協同組合、企業、国際金融機関、多国間組織、研究機関などの計画に支出している。2007年は39億2200万ドルを政府開発援助(ODA)に支出している。対GNI比の0.28%で、世界の16位である。
 カナダ政府は1968年からNGOに、1979年から組織や機関に資金援助をしている。NGOの関係では、開発途上国との間で人と組織の連携を築いており、井戸掘り、保健衛生の基礎を教え、カナダへの留学生を受け入れるなど、多岐にわたっている。[三橋節子]
交通
大部分の貿易は外洋に面した港湾や、セント・ローレンス川沿いの内陸港を通して行われる。大型深水港30、中・小の港および多目的埠頭(ふとう)が549あり、1992年には年間3億5100万トンに上る貨物を扱っている。1959年セント・ローレンス水路が開通し、小麦、鉄鉱石、石炭、石油化学製品などのばら積み貨物やコンテナ貨物の輸送が可能となった。北極海諸島などの遠隔地には、貨物船が石油、建築資材、食糧、衣料、日用品などを北部沿岸航路で運んでいる。日本への石炭輸出港として、1960年代に開港したバンクーバーの南のロバーツ・バンク港ではまにあわないため、北のプリンス・ルパートにブリティッシュ・コロンビア北東炭などの石炭ターミナルや、石油化学製品ターミナルを建設し、1980年代に完成して石炭を日本へ輸出している。さらにアジアの経済発展に合わせて、ロバーツ・バンク港を4倍に拡張し、コンナテ港も1997年に完成した。
 カナダでは、鉄道輸送のほとんどは、カナディアン・ナショナル鉄道(CN)とカナダ太平洋鉄道(CP)によって行われている。カナディアン・ナショナル鉄道は、8州とノースウェスト・テリトリーズに営業キロ4万5000キロメートルに及ぶカナダ最長の鉄道網をもつ複合輸送企業である。平原諸州の小麦や西部の石炭を、主としてバンクーバー(アジア向け)に輸送している。カナダ太平洋鉄道はカナダおよびアメリカに3万5170キロメートルの鉄道網をもち、穀倉地帯の小麦はバンクーバーとサンダー・ベイ(ヨーロッパ向け)に、アルバータ州南西部の石炭もバンクーバーに輸送している。ほかにカリ、鉱石、石油化学製品、木材などが専用列車によって運ばれている。二大鉄道のほかに78社に及ぶ鉄道会社があり、総延長およそ5万キロメートルで列車を運行させ、木材、鉱石をはじめとする地方の特産資源を輸送している。
 鉄道は他の鉄道・海運およびトラック会社と提携している。北米自由貿易協定(NAFTA(ナフタ))は、全輸送手段を使って南北の輸送を拡大している。1994年アメリカ合衆国への輸出は、トラック・鉄道・海運および航空の全輸送手段あわせて、金額にして23%の増加を示した。鉄道は東西にのみ走っているので、南北にも輸送可能なトラックに追いつくよう努力をしている。カナダ太平洋鉄道(CP)とカナディアン・ナショナル鉄道(CN)は、操業に適さない路線や支線を廃止している。双方ともアメリカの子会社と北米組織網をつくり、1994年CPはデトロイト川の地下のトンネルを大型貨車が通れるよう拡大し、それまで船で12時間かかっていたウィンザー市とデトロイト市間の所要時間を短縮した。1995年CNはオンタリオ州とミシガン州間の輸送のため、セント・クレア川の下にトンネルを掘り、所要時間を24時間短縮した。カナダの鉄道はトラック会社とも提携し、トラクター=トレイラーのコンテナが平らな貨車に積み込めるよう柔軟な対応をした。
 鉄道貨物輸送量は3183億トンキロ(2004)となっている(ちなみに日本は225億トンキロ)。
 旅客輸送は、1978年にCNとCPの旅客部門が統合し、連邦政府が出資してできたVIA鉄道が行っている。また、アメリカのアムトラックAmtrak(全米鉄道旅客輸送公社)が、シアトル―バンクーバー、ニューヨーク―モントリオール、ニューヨーク―トロント間を走っている。
 ハイウェーも輸送網の重要な一環を占める。総計140万8900キロメートル(舗装率40%。2004)の道路が国土を縦横に走っている。1962年に完成したカナダ横断ハイウェーは、ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアからニューファンドランド州セント・ジョンズまで全長7775キロメートルに及ぶ。高速道路も2万5000キロメートルを超えている。道路の半分以上は都市およびその周辺に集中する。また80キロメートルを超える旅行の9割近くに自動車が利用されている。1992年トラック輸送額は、アメリカ合衆国からの輸入額のおよそ80%、輸出額の半分を少し上回る額に達した。カナダのトラックは現在メキシコにも輸送でき、その途中でアメリカの貨物をも配送できるようになった。しかし逆に1994年のNAFTA発足以来、カナダ内でのアメリカのトラックの配送量が10%増加した。自動車輸送量は1848億トンキロ(2005)になっている(日本の自動車輸送量3350億トンキロ)。
 航空輸送では、エア・カナダ(AC)が国内・国際線に就航し、国内航空会社ではウェスト・ジェット、エア・トランザット、エア・カナダ・ジャズおよび1500を超える独立系の航空会社が航空サービスを行っている。旅客・貨物輸送のほか、農薬散布、牧牛などの移動、漁業、林業、建設・製造業、通信、探査、レクリエーションなどに利用されている。また、北極地方など僻地(へきち)では、航空機は人と物資を運ぶ重要な交通手段である。
 1995年、カナダとアメリカ合衆国は「開かれた空」協定を結び、カナダとアメリカの航空会社が国境を越えて、両国の2都市間を飛行することがほとんど無制限に行われるようになった。航空貨物輸送量は15億300万トンキロ、旅客輸送量は982億4100万人(2006)となっている。[三橋節子]
通信
1870~1880年代に、大西洋岸から太平洋岸まで鉄道と電信線が敷かれて1874年にベルがカナダで電話を発明して以来、カナダの国土の広大さに起因する不便さが克服された。カナダの電話加入回線数は2100万回線(2007)で、電話普及率は全世帯の99%に達し、世界一といわれる。そのうち90%以上がデジタル化されている。
 光ファイバーによるネットワーク化が進み、ケーブルテレビ加入世帯数は769万世帯(2006)に上り、人口の92%がケーブル放送網によるニュース、ドラマ、スポーツ、音楽、通信教育、天気予報、テレビショッピングなどの多様なチャンネルの番組を視聴することができる。
 人口当りのインターネット利用者率は85.2%(100人当り85.2人が利用。2007)とオランダに次いで世界第2位。ブロードバンド加入率もオランダ、韓国、スイス、イギリスなどとともにトップクラスとなっている。インターネットバンキングの利用者数も多く、カナダのインターネット利用者率の高さはその利用コストが世界でもっとも低いという事情も寄与している。
 カナダの放送事業、ケーブルテレビ事業ならびに通信運輸事業の一部は、「カナダ・ラジオ・テレビ通信委員会」(CRTC)が規制する。テレビでは、民間テレビの放映時間の50%、公営のCBC(カナダ放送協会)の30%がアメリカからの輸入番組である。全人口の3分の2は、アメリカのテレビ番組を見ていると思われる。とくに全世帯の70~80%が有線化されているバンクーバーやトロントなどの大都市では、約80%が輸入番組か、アメリカのテレビ局から放映された番組である。[三橋節子]

社会・文化


民族・言語
カナダは移民によってつくられた国である。17世紀に初めてフランス人が現在のカナダの地に植民地を建設しようとしたとき、出会った先住民はミクマク人であった。現在先住民族は1982年の憲法で認定された北米インディアン、メティス(先住民とヨーロッパ系の混血)、イヌイットの3つの民族で人口の約4%(2006)を占めている。
 先住民以外のカナダ人はすべて移民の子孫である。近年イギリス系、フランス系以外の民族比が増大して、ますます多民族化が進んでいる。2006年に行われた国政調査では、15歳以上人口の24%がカナダ以外で生まれた移民一世であった。民族的出身ではカナダ人という申告以外にイギリス系、フランス系に続いてスコットランド系、アイルランド系、ドイツ系、イタリア系、中国系、北米インディアン系、ウクライナ系、オランダ系が多かった。また、異民族間の結婚が増えて、複数の民族的出身を申告するケースも多い。
 カナダの公用語は英語とフランス語で、カナダ人の57%が英語を母語とし、22%がフランス語を母語としているが、21%は二つ以上の母語をもつか、中国語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、ポーランド語、パンジャーブ語、オランダ語、タガログ語、ギリシア語、ベトナム語、アラビア語その他、英語、フランス語以外の多様な言語を母語としている。母語とする言語の多様さからも、カナダの多民族化が加速していることがわかる。
 フランス系カナダ人は、イギリス植民地の形成される150年も前からカナダに住み、19世紀なかばまでは多数派を占めていた。フランス系カナダ人の権利擁護、たとえば学校教育におけるフランス語の使用などを要求するフランス系の人々の運動は長い間続いていたが、とくに1950年代にはケベック州の近代化運動に伴って激化した。その結果1963年、ピアソン自由党内閣は二言語・二文化政府委員会を設置し、この委員会による調査と勧告に基づいて、1969年公用語法が制定された。英語とフランス語が初めてカナダの公用語として認定され、言語については建国以来の問題にいちおう結論が与えられたことになっている。[大原祐子・木村和男]
多文化主義
公用語の問題とは異なって、カナダ独自の文化形成については、カナダ人を構成する多くの民族に、イギリスかフランスかという二者択一を迫るわけにはいかなかった。1971年、トルドー自由党政府は「多文化主義」をカナダの国是とする旨を発表した。1年後には多文化主義の推進を担当する国務大臣が任命された。政府の多文化主義政策はいろいろな局面で展開されている。大学における民族研究の奨励、国立公文書館での民族別資料収集から、さまざまな民族が自身の文化を維持し発展させ、他民族とそれを共有することを促進するための財政的援助など、枚挙にいとまがない。[大原祐子・木村和男]
宗教
カナダの人口のおよそ80%をキリスト教徒が占める。1615年にフランスから初めて布教されて以来の伝統をもち、フランス系だけでなくアイルランド出身者にも信徒の多いカトリックが圧倒的に強く、信徒数は総人口の44%を占める。プロテスタントは29%を占め、長老派、メソジスト派、組合教会派が合同して形成されたカナダ合同教会、イギリス植民地としての歴史の長さを反映して、イギリス国教会などとなっている。また、メノナイト、アーミッシュといった厳格な教義を遵守するキリスト教少数派の存在がカナダ社会を特徴づけているのはアメリカ合衆国と同様である。
 その他の宗教としては、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、シク教、仏教などの多様な宗教の信徒がいるが、無宗教も16.5%(2001)となっている。[大原祐子・木村和男]
地域格差
言語と宗教を軸とするイギリス系民族とフランス系民族の対立を、カナダの社会・文化の大きな特徴の一つとするならば、もう一つの大きな特徴は地域的相違の大きいことであろう。カナダには10の州があるが、17世紀初頭にフランスの植民地として発足し、1867年にカナダの一州となったケベック州、16世紀末にイギリス最初の海外植民地となり、1949年まで植民地であり続けたニューファンドランド州、あるいは20世紀初頭にようやく定住が開始され1905年に州となったサスカチェワン州とでは、その歴史は当然のこと、民族構成、経済構造、住民の気質などいろいろな点で異なっている。
 たとえばカナダ10州の経済構造の相違は、この10州を「もてる州」と「もたざる州」に分けている。カナダ全体の1人当り平均個人所得より多い個人所得を有する州はオンタリオ、アルバータ、ブリティッシュ・コロンビアで、この3州が「もてる州」、残りの7州が「もたざる州」ということになる。「もてる州」のなかでももっとも裕福であるのはアルバータ州であり、「もたざる州」の最下位に位置するのがニューファンドランド州である。同じカナダ人といっても州により生活水準に大きな相違が出ている。この個人所得の差は、カナダのOPEC(オペック)(石油輸出国機構)とよばれ、石油をはじめとして各種の鉱産物資源に恵まれているアルバータ州と、いまだに林産業、水産業の比重が高く、鉱業や鉄鉱石の産出を第一とするニューファンドランド州との、経済構造の違いにもっとも大きな理由を求めることができよう。[大原祐子・木村和男]
教育
各州の相違を制度上顕著に示しているのが教育である。連邦制度をとるカナダでは、連邦政府に属する権限と州政府に属する権限がはっきり分かれているが、なかでも教育は州政府の権限に属し、連邦政府が関与しないことになっている。一般的には1年から6年までを初等教育、7年から11年までを中等教育としているが、たとえば、オンタリオ州の教育制度が13年間の初等・中等教育と3年間の高等(大学)教育となっているのに対し、ケベック州のそれは11年間と5年間に分けられている。
 義務教育は5、6歳から15、16歳までで、中等教育(日本の中学校、高校にあたる)までは、すべての公立学校でカナダ人と永住者は無償となっている。
 高等教育は有償で行われ、大学および特定の技術を身につけるための技術専門学校とコミュニティ・カレッジがある。技術専門学校とコミュニティ・カレッジは全国に約200校、総合大学は約100校となっている。[大原祐子・木村和男]
音楽・絵画・スポーツ
巨大なアメリカの影に隠されている場合が多いが、今日のカナダは、音楽、絵画、スポーツなどの分野でも優れた人材や作品を輩出している。
 ポピュラー音楽では、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ザ・バンド、レナード・コーエン、ブルース・コバーン、k・d・ラングなどの定評あるシンガーに加え、最近ではセリーヌ・ディオン、ブライアン・アダムス、アラニス・モリセットなどが綺羅(きら)星のように続く。彼らの歌には、北国としてのカナダの風土、社会、人間が、さりげなく表現されることが多い。フランス系の「国民的歌手」となったジル・ビニョールをはじめ、イヌイット出身のスーザン・アグルカークやケルト系のシンガーのように、マイノリティ(少数民族)としての出自をあえて前面に出す人々もおり、これらは多文化主義カナダの特徴を多少とも反映しているといえよう。名ピアニストのオスカー・ピーターソンに代表されるモントリオール・ジャズ・フェスティバルも有名になっている。
 クラシック音楽では、すでに故人となったがカナダでの録音活動にこだわり続けた「幻のピアニスト」グレン・グールドが日本でも根強い人気を維持している。またモントリオール交響楽団も、NHK交響楽団の常任指揮者をも兼任するシャルル・デュトワのもとで、世界のメジャー・オーケストラの一つとなった。トロントには古楽器によるハイドン演奏などで知られる室内管弦楽団ターフェル・ムジークがいる。ほかにもカナディアン・オペラ・カンパニーやロイヤル・ウィニペグ・バレエなども活発な活動を続けている。
 映画でも、1939年に国立映画庁が創設されて以来、カナダはドキュメンタリーやアニメーションを含む独自の優れた作品を生み出している。トロントやモントリオールでは有名な映画祭が開催されており、トロント生まれの監督デイビッド・クローネンバーグは、日本でも人気がある。
 カナダ絵画としては、19世紀中葉に先住民の生活を描いたコーネリウス・クリーゴフやポール・ケインなどの作品が知られるが、真にカナダ独自の画風を創出したといわれるのは1920年代に、トム・トムソンを先達としてトロントを基盤に活躍した画家集団「グループ・オブ・セブン」である。先住民やほかのマイノリティ・グループも、民族的伝統とカナダ的風土を結び付けた作品を創造しつつある。
 スポーツの分野をみると、カナダの国技とよばれるほど絶大な人気を集めているのはアイスホッケーである。45万人もの若者がいずれかのアイスホッケー・チームに所属しており、彼らの多くがナショナル・ホッケー・リーグ(NHL)で競技することを夢みている。NHLは北米30チームで構成され、カナダではカルガリー、エドモントン、モントリオール、オタワ、トロント、バンクーバー、ウィニペグの7チームがある。スタンリー・カップを争うNHLの公式戦はすでに100年以上の伝統を誇っている。スケート、バイアスロンなどウィンタースポーツの人気は高く、多くのオリンピック・メダリストが生まれている。
 アイスホッケーのほかにプロスポーツとしては、野球、フットボール、バスケットボールの人気が高い。野球では大リーグ球団のトロント・ブルージェイズがあり、1992年と1993年にワールド・シリーズ2連覇を達成している。[大原祐子・木村和男]

日本との関係


 カナダと日本の関係は、第二次世界大戦を境に、戦前は日本からの移民、戦後は通商を軸に考えることができよう。日本からカナダへの移民は1877年(明治10)が最初とされているが、急増したのは、1880年代後半ブリティッシュ・コロンビア州フレーザー河畔でサケ漁に従事すべく、和歌山県から漁民が移住を始めて以来である。一方、カナダ人が日本へきたのはもっと早く、1873年から宣教師が活動を開始していた。
 20世紀に入って日本人のカナダ移住は激増し、1907年(明治40)には一つの船で1200人近い日本人が移住したりしたが、この日本人人口の増加は、以前から存在したカナダ白人と日系カナダ人の軋轢(あつれき)をさらに悪化させ、この年の9月にはバンクーバーの日本人街襲撃事件が起こっている。こののち日本人の移住は制限されることになるが、1928年(昭和3)、外交主権をイギリスから獲得したばかりのカナダが日本と国交を樹立したのも、日本人移民問題の円満解決を図ってのこととされる。
 1941年、日本の真珠湾攻撃とともにカナダと日本は交戦状態に入るが、これでもっとも大きな被害を受けたのは、敵国人と規定され、西部海岸地域から強制的に立ち退かされた日系カナダ人であった。戦後の1949年(昭和24)に至ってようやく日系カナダ人への規制は解除され、1952年の対日講和条約の調印とともに日本とカナダの国交が再開された。1954年には「日加通商最恵国待遇協定」がオタワで調印された。
 1974年に田中角栄首相がカナダを訪問したとき、トルドー首相との間で、両国の関係を経済分野でも他の分野でも多様化させるべきことが合意された。経済分野に関しては、1976年に日本を訪れたトルドー首相と三木首相との間で、「日加経済協力大綱」が調印され、日加貿易の発展を評価する基礎となった。トルドー首相は、カナダとアメリカ合衆国の友好関係を、EC(ヨーロッパ共同体)諸国とアジアとくに日本との間にも確立する「第三の選択」を行い、1976年には「日加文化協定」を締結し、両国間の文化交流が活発となってきた。
 1986年には「日本とカナダの科学技術協力を推進するための二国間協定」に調印し、1989年にはカナダが「日本科学技術基金(JSTF)」を設立している。1988年には日本でカナダに関するノンフィクション作品の出版を奨励する「カナダ首相出版賞」(現在は「カナダ出版賞」)が設立され、日加関係に貢献する多くの書籍が受賞している。また1989年には「カナダ研究開発助成金プログラム」を開始し、カナダに関するセミナーの開催や、カナダ研究センターの開設を目ざす日本の大学を支援している。さらに1991年「日加フォーラム2000」を設置し、二国間関係を推進する施策の提言をしている。[大原祐子・三橋節子]
『リッカー・セイウェル著、馬場伸也他訳『カナダの政治』(1973・ミネルヴァ書房) ▽伊藤勝美著『フランス系カナダ問題の研究』(1973・成文堂) ▽ドラモント著、公文俊平・長尾史郎訳『カナダ経済入門』(1977・日本経済新聞社) ▽深尾凱子・菅原真理子著『モザイク社会の女性たち』(1980・ELEC出版部) ▽ダグラス・フランシス著、木村和男編著『カナダの地域と民族』(1993・同文館出版) ▽島崎博文著『カナダの土地と人々』(1994・古今書院) ▽木村和男他著『カナダの歴史』(1997・刀水書房) ▽加藤普章著『カナダ連邦政治 多様性と統一への模索』(2002・東京大学出版会) ▽櫻田大造著『カナダ・アメリカ関係史』(2006・明石書店) ▽日本カナダ学会編『史料が語るカナダ 新版』(2008・有斐閣) ▽矢頭典枝著『カナダの公用語政策』(2008・リーベル出版) ▽新川敏光著『多文化主義社会の福祉国家』(2008・ミネルヴァ書房) ▽新保満著『カナダの素顔』(岩波新書) ▽J. L. Robinson Concept and Themes in the Regional Geography of Canada(1989, Tanlon-books, Vancouver)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

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