20世紀日本人名事典 「巌本 善治」の解説
巌本 善治
イワモト ヨシハル
明治〜昭和期のジャーナリスト,教育者 「女学雑誌」創刊者;明治女学校校長。
- 生年
- 文久3年6月15日(1863年)
- 没年
- 昭和17(1942)年10月6日
- 出生地
- 但馬国出石町(兵庫県)
- 旧姓(旧名)
- 井上
- 別名
- 号=井上 次郎,月の舎 しのぶ,山下石翁,撫象子,如雲
- 経歴
- 明治9年上京、同人社、学農社などに学んだ。16年下谷教会で受洗、18年浮田和民と基督教新聞を創刊、19年日本最初の婦人誌「女学新誌」(のち「女学雑誌」と改題)を創刊。20年明治女学校教頭となり25年校長に就任、女性解放を説き、キリスト教精神に基づく自由教育を実践した。同校教師に島崎藤村、北村透谷らを迎え、「女学雑誌」には藤村、透谷のほか内村鑑三、田中正造らも寄稿、やがて「文学界」の母体となった。37年「女学雑誌」廃刊、41年明治女学校も廃校となったが、その後は明治殖民会社を起こし、南米ペルーへの移民を図ったり、内外通信会社を設立、実業界にも関係した。著書に「海舟余波」「海舟座談」など。妻若松賤子はバーネット「小公子」の訳者、巌本真理は孫。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報