明治の政治家、書家。近江(おうみ)国(滋賀県)生まれ。名は修(しゅう)。一六、古梅、噏霞(きゅうか)、呑沢山人(どんたくさんじん)、金粟(きんぞく)道人などと号す。家は代々水口(みなくち)藩(滋賀県)に仕えた侍医であった。父の没後母と京都に出て、16歳のとき三浦東園について医術を学んだ。のち帰郷して藩の侍医となるが、明治維新後は徴士をはじめに内閣書記官、元老院議官と役人生活を送った。さらに貴族院議員に勅選され政治家として活躍した。漢学、絵画など学問、諸芸にも優れたが、書は初め中沢雪城に菱湖(りょうこ)流を学び、さらに趙子昂(ちょうすごう)(中国元(げん)の能書)を、また1880年(明治13)来朝した楊守敬(ようしゅけい)に六朝(りくちょう)書法を学び、一六独自の清新で新奇な書風を確立した。小説家の巌谷小波(さざなみ)は子息。
[島谷弘幸]
(山内常正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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…明治・大正期の作家,児童文学者。本名季雄,初期別号山人(さざなみさんじん)。東京生れ。父の一六は貴族院議員で書家として著名。裕福な家庭に育ったが,医者への道を歩ませられることをきらい,周囲の反対の中で文学を志して進学を放棄し,1887年文学結社の硯友社(けんゆうしや)に入る。尾崎紅葉らと交わって小説を発表したが,少年少女のセンチメンタルな恋愛を描く作品が多く,この傾向は,児童文学に転ずることによって成功する。…
…当時,和漢の書を極め,漢字に新しい境地を開いて注目される。菱湖は欧陽詢風の細楷をよくし,門下の中沢雪城からは明治時代の書家巌谷一六(いわやいちろく)(1835‐1905),西川春洞(1847‐1915)を出し,明治時代の書に与えた影響は大きい。 一方,江戸時代の一般庶民は上流階級には無関係に御家流万能であった。…
※「巌谷一六」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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