巡見街道(読み)じゆんけんかいどう

日本歴史地名大系 「巡見街道」の解説

巡見街道
じゆんけんかいどう

江戸時代に幕府巡見使が通った道をいい、特定の道ではない。中島郡一之宮いちのみや(現一宮市)より南へ海東かいとう佐屋さや(現海部郡佐屋町)に至る間のそれを、近在の村人がよび、現在にその名が残る。寛永(一六二四―四四)以来、幕府は将軍の代替りごとに使番一人、小姓番・書院番二人を正使とした定員三五人を一組とする巡見使を全国各地にそれぞれ派遣し、政情・民情を調べさせた。巡見の道などの大筋は規定されていた。

数多く残る尾張藩の御国巡見史料(徳川林政史蔵)に休泊地をみると、第一日は三河刈谷(現刈谷市)を出発して尾張に入り、緒川おがわ(現知多郡東浦町)で休み横須賀よこすか(現東海市)泊り、第二日は鳴海なるみ宿(現名古屋市緑区)で休みみや宿(現熱田区)泊り、第三日は猪子石いのこし(現名東区)で休み新居あらい(現尾張旭市)泊り、第四日は小牧村(現小牧市)で休み犬山(現犬山市)泊り、第五日は飛保ひぼ(現江南市)で休み萩原はぎわら(現一宮市)泊り、第六日は佐屋さや宿(現海部郡佐屋町)で休み伊勢国桑名くわな入り、となっている。


巡見街道
じゆんけんかいどう

江戸幕府が諸国の政情査察のため派遣した巡見使の通る街道。伊勢では鈴鹿郡亀山宿から員弁いなべ郡を経て美濃国関ヶ原に至る道をよぶ。全長約九〇キロ、うち伊勢国内六〇キロ。亀山宿東端で東海道と分れ、一路鈴鹿山脈に並行して北上伊船いふな(現鈴鹿市)、三重郡薦野こもの(現菰野町)城下に至り、員弁郡別名べつみよう(現北勢町)で道は西北に折れ山口やまぐち村・古田ふるた(現藤原町)から美濃国に入る。途中別名村から員弁川を渡り、阿下喜あげき(現北勢町)から本郷ほんごう(現藤原町)を経て、山口村で本道に合する支道も利用された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「巡見街道」の意味・わかりやすい解説

巡見街道
じゅんけんかいどう

三重県北部,鈴鹿山脈東麓を北上し,岐阜県南西部にいたる街道。江戸時代初期,徳川家光が諸国に巡見使を派遣するため整備した街道で,亀山市で東海道と分かれ,菰野町,いなべ市の大安,北勢,藤原を経て岐阜県に入り,関ヶ原町不破関中山道と接していた。現在その大部分が国道 306号線となっている。

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