日本歴史地名大系 「市山村」の解説
市山村
いちやまむら
〔中世〕
暦応二年(一三三九)八月二日の小笠原貞宗代武田弥三郎入道軍忠状(庵原家文書)によると、同年七月五日北朝方の「市山城」へ南朝方の新田左馬助(義氏)・福屋孫太郎・高津余二(長幸)・津野(都野)神主・長瀬八郎らが攻め寄せたため、同月七日に
永禄四年石見国をほぼ掌握した毛利氏に対し、福屋氏は反旗を翻した。同年一二月毛利・吉川両氏から市山の土豪層に帰属勧誘が行われ、これに応じた市山の土豪は井下三郎兵衛・河辺美作守・井下加賀守・門田民部丞・寺本伊賀守・井下新兵衛・米原東市介・寺本玄蕃允・米原右衛門尉らであった(一二月一日「吉川元春神文」藩中諸家古文書纂)。
市山村
いちやまむら
南西へ流れる
永禄一〇年(一五六七)一一月二四日、菱刈氏の本城
市山村
いちやまむら
文禄四年(一五九五)一一月代官頭彦坂元正による検地が行われ、反別は田方一三町八反余・畑方七町九反余・屋敷九反余、村高二二五石余が確定した(市山区有文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報