市川九女八(読み)いちかわくめはち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「市川九女八」の意味・わかりやすい解説

市川九女八
いちかわくめはち
(1846―1913)

明治の女役者本名守住(もりずみ)けい。江戸生まれ。初め坂東三津江(ばんどうみつえ)門下のお狂言師だったが、1873年(明治6)女方(おんながた)の8世岩井半四郎に入門岩井粂八(くめはち)(久米八)を名のり歌舞伎(かぶき)女優となる。のち、9世市川団十郎の門下となり、93年(明治26)三崎座が女芝居に転向したときに座頭(ざがしら)となる。晩年はときとして守住月華(げっか)の名を用い、新派、新演劇、文士劇にも出演。団十郎を団洲(だんしゅう)とよぶのにちなんで「女団洲(おんなだんしゅう)」と称されたことから察せられるように、団十郎ばりの演技は、明治の女役者中群を抜いていた。2世は養女菊子が継いだが早世した。

[古井戸秀夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「市川九女八」の意味・わかりやすい解説

市川九女八
いちかわくめはち

[生]弘化3(1848).江戸
[没]1913
歌舞伎の女役者。本名守住けい。 12歳で日本舞踊名取となり,寄席芝居を経験したのち,明治1 (1868) 年に岩井粂八と改め歌舞伎の女役者となる。のちに明治劇壇の雄9世市川団十郎の門下となり,升之丞,粂八,九女八を名のる。女団十郎,女団洲 (団十郎の号) と呼ばれて人気を博し,特に所作事を得意とした。東京三崎座で座頭をつとめるほか,新派や新演劇,文士劇などにも出演。2世は養女が継いだが早世した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市川九女八」の解説

市川九女八 いちかわ-くめはち

1847*-1913 幕末-明治時代の女役者。
弘化(こうか)3年11月28日生まれ。12歳で舞踊の名取となる。8代岩井半四郎の門下から,9代市川団十郎に入門。明治26年東京三崎座の座頭。「女団洲(女団十郎)」と称された。晩年は新派にも出演。大正2年7月24日死去。68歳。江戸出身。本名は守住(もりずみ)けい。前名は岩井粂八(くめはち)。俳名は月華。屋号は成田屋。

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世界大百科事典(旧版)内の市川九女八の言及

【女芝居】より

…主として東京神田三崎町の三崎座などを本拠として活躍。著名な女役者に,市川九女八(岩井粂八),中村仲吉(翠蛾),中村仲次,市川鯉昇,松本錦糸,中村歌扇らがあった。女ながらあらゆる役柄をこなし,腕のたつ人々が輩出したが,一つのジャンルとして確立しえぬまま滅んだ。…

【藤蔭静樹】より

…日本舞踊藤蔭流創始者。本名内田八重。新潟県生れ。幼時から舞踊を学び,1898年女役者の市川久女八(1846‐1913)を頼って上京,翌年入門して内田静枝を名のり,1903年女優として初舞台。その後舞踊家を志して09年2世藤間勘右衛門に入門。翌年藤間静枝の名を許され,また新橋に妓籍をおいて八重次の名で舞踊の師匠をも兼ねた。一時,永井荷風と同棲して影響を受ける。その後坪内逍遥の《新楽劇論》に出発する新舞踊を志し,17年〈藤蔭会(とういんかい)〉を起こして第1回公演。…

※「市川九女八」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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