平塚川添遺跡(読み)ひらづかかわぞえいせき

日本歴史地名大系 「平塚川添遺跡」の解説

平塚川添遺跡
ひらづかかわぞえいせき

[現在地名]甘木市平塚

小石原こいしわら川流域に広がる低湿地帯の微高地上に立地する。弥生時代後期を中心とする多重環濠集落で、国指定史跡北東には同一集落である平塚山の上ひらづかやまのうえ遺跡が隣接する。平成三年(一九九一)以降の発掘調査で、竪穴住居跡約三〇〇軒、掘立柱建物跡約一〇〇棟などが発見され、弥生中期から古墳時代初頭の大規模な集落跡であることが確認された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「平塚川添遺跡」の解説

ひらつかかわぞえいせき【平塚川添遺跡】


福岡県朝倉市甘木・小田にある集落跡。筑後川とその支流が形成した肥沃な平野にある大規模な多重環濠集落跡。1992年(平成4)に発見され、これまでの発掘調査で竪穴(たてあな)住居跡約300軒、掘立柱建物跡約150棟、環濠などを確認。弥生時代中期から古墳時代前期までの約300年間人々が住み続け、2世紀から3世紀ごろの弥生時代後期には水濠に囲まれた大集落となっていたと推測される。1994年(平成6)に国の史跡に指定された。集落の中央部は約2haあり、南北約220m、東西約120mの内濠が楕円形に囲み、その外側に全体を2重にめぐる濠が存在。さらに台地反対の西側低地には、3ないし4重の濠があり、全体で南北400m、東西250m以上の広さをもつほぼ楕円形の環濠集落と考えられる。土器のほか、鍬(くわ)や鋤(すき)などの農耕具、木製生活用具、玉類、中国貨幣などが出土した。2001年(平成13)に開園した遺跡公園に最盛期の様子が復元され、集落の中心的な建物であった祭殿首長館、高床の倉庫群や当時の人々が住んでいた竪穴住居、環濠を渡る橋、防御施設とみられる柵列などを見ることができる。JR鹿児島本線基山駅から甘木鉄道レールバス甘木駅下車、車で約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

事典・日本の観光資源 「平塚川添遺跡」の解説

平塚川添遺跡

(福岡県朝倉市)
福岡県文化百選 歴史散歩編」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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