平安時代の美術(読み)へいあんじだいのびじゅつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平安時代の美術」の意味・わかりやすい解説

平安時代の美術
へいあんじだいのびじゅつ

9世紀初めから 12世紀末まで 400年にわたる平安時代の美術は,900年頃を境に大きく前・後期に分けられる。9世紀特に前半においては,奈良時代に続き大陸文化の積極的な摂取がみられ,最澄と空海による天台,真言両宗の伝来は美術のうえにも大きな影響を与えた。真言密教の根本をなす両界曼荼羅の転写や独尊像の制作は,盛唐末,晩唐の濃厚晦渋な色彩や表現によって,複雑な諸尊図像を造形化していったが,それを支えたのは奈良時代の画工司 (えだくみのつかさ) の伝統を負う絵師たちであった。彫刻においても密教様の木彫彩色像が造られ,一方では簡略な素木像の系統から力強い一木造の仏像が独自の様式展開をみせた。世俗画の領域では中国的主題のもの (唐絵) に代って,親しみやすい日本の人事や自然を描いたやまと絵が,9世紀末から屏風障子和歌を伴って描かれるようになり,表現や様式のうえでもその質を変化させていく。こうした日本化は 11世紀前半までに宮廷絵所を中心に達成されたと思われ,また仮名物語の発達に対応する物語絵の絵巻物や冊子絵が,独自な技法と様式を生み出した。図像的制約をもつ仏画においても,表現上の和様化は 10世紀を通して確実に行われ,仏教彫刻もまた9世紀の重量感を脱して平明さへと向う。 11世紀前半に活躍した定朝は,寄木造の技術的完成とともに藤原貴族の理想にこたえた円満微妙な定朝様の如来像形式を生み出した。彼の遺品である丈六の『阿弥陀如来像』を中尊にもつ平等院鳳凰堂は,建築,彫刻,絵画,工芸を総合して平安美術の精粋を今日に伝えるモニュメントである。こうした 11世紀の古典様式は,12世紀に入って各方面で変質を始め,鎌倉時代への過渡的様相を深めていく。仏画においては院政下の狂信的な造寺造仏に伴い,装飾化や繊細化が著しく,また南都 (奈良) における奈良様の復活,宋画との接触を思わせる線描主義なども指摘される。絵巻物の世界では濃彩の物語絵に対して,民間説話や仏教伝説を主題とし線描を自由に働かせた様式のものが,連続的な画面を展開した。彫刻においても,技巧と形式に流れた定朝直系の京都の仏師たちに対し,奈良を中心とする新動向が始るなど,後白河院の院政下,源平争乱にいたる 12世紀後半は,平安美術の終末を飾る複雑な創造性をはらんでいる。

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