平時家(読み)たいらのときいえ

朝日日本歴史人物事典 「平時家」の解説

平時家

没年:建久4.5.10(1193.6.10)
生年:生年不詳
平安末期の貴族,源頼朝側近。晩年信時と改名平時忠次男。当初,京で活躍し,蔵人,大学助,美作守などを経て従四位下伯耆守・右近権少将に至るが,平清盛による治承3(1179)年11月政変の際,継母の讒言もあって解官され,上総国(安房国とも)に追われる。同地では豪族上総広常の婿に迎えられ,寿永1(1182)年1月にはその推挙によって頼朝に拝謁以後,京下りの貴族を重視する頼朝の厚遇を受け,儀式などに際して側近として活躍したが,建久4(1193)年,鎌倉で死去し,頼朝を嘆かせた。

(元木泰雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平時家」の解説

平時家 たいらの-ときいえ

?-1193 平安後期-鎌倉時代官吏
平時忠の次男。治承(じしょう)2年(1178)従四位下,右近衛権少将(うこんえのごんのしょうしょう)兼伯耆守(ほうきのかみ)となるが,3年任をとかれ,上総(かずさ)(千葉県)におわれた。平広常娘婿となり,その推挙で源頼朝に側近としてつかえた。建久4年5月10日死去。名はのち信時。

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