平経正(読み)たいらのつねまさ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平経正」の意味・わかりやすい解説

平経正
たいらのつねまさ

[生]?
[没]寿永3=元暦1(1184).2.7. 摂津,一ノ谷
平安時代末期の武将。但馬守正四位下。父は清盛の弟,参議経盛。弟には敦盛がいる。和歌琵琶に秀でた。若年で仁和寺宮守覚法親王に師事し,親王秘蔵の琵琶「青山」を賜わった。寿永2 (1183) 年平家一門の都落ちに際しては,名器「青山」が戦乱で喪失するのをおそれ,仁和寺宮を訪れて返却し,別れに数曲を弾いたところ,聞く者の涙を誘ったという。翌年一ノ谷の戦いに敗れ割腹した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平経正」の解説

平経正 たいらの-つねまさ

?-1184 平安時代後期の武将。
平経盛長男幼少より覚性入道親王につかえ,淡路守(あわじのかみ),丹後守,但馬守(たじまのかみ)を歴任歌人として知られる。また琵琶(びわ)の名手で,覚性入道親王からあたえられていた名器「青山」を,平家都落ちの際,守覚法親王に返上したという。寿永3年2月7日一ノ谷の戦いで討ち死にした。家集に「経正朝臣集」。

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世界大百科事典(旧版)内の平経正の言及

【竹生島詣】より

…木曾義仲の軍を迎え撃つために,平家は琵琶湖畔を北上した。副将軍平経正(つねまさ)は,管絃の道に長じた人で,進軍中ながら湖上の名島に心ひかれ,小舟で竹生島に渡った。頃は4月半ばで,まだ春のなごりが感じられ,老い鶯の声にほととぎすの初音が添い,松の藤波が美しく,仙界の蓬萊宮(ほうらいきゆう)とはここのことかと思われるばかりだった(〈三重(さんじゆう)・初重〉)。…

※「平経正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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