広岡久右衛門(読み)ヒロオカ キュウエモン

20世紀日本人名事典 「広岡久右衛門」の解説

広岡 久右衛門(9代目)
ヒロオカ キュウエモン

明治期の実業家 加島屋久右衛門家第9代当主;大同生命保険初代社長。



生年
天保15年9月28日(1844年)

没年
明治42(1909)年6月20日

出生地
大坂・土佐堀(大阪府大阪市)

本名
広岡 正秋(ヒロオカ マサアキ)

別名
幼名=文之助,別名=加島屋 久右衛門(カシマヤ キュウエモン)

経歴
三井・鴻池と並ぶ大坂の両替商兼米問屋、加島屋久右衛門(7代目)の三男に生まれるが、兄喜三郎が早世したため、総本家を継いで9代目久右衛門となった。18歳の時大坂東役所で会計見習を務め、明治天皇東幸の際には御用掛、また長州藩毛利敬親に召出されて朝廷の出納役なども務めた。明治元年由利公正発行の金札(太政官札)の流布に鴻池と共に尽力し、2年民部省より大阪為替会社頭取を命ぜられ、また大阪通商会社惣頭取となる。21年一族の出資で加島銀行を設立、頭取に就任。22年大阪市議。32年朝日生命重役を兼ね、35年護国生命、北海生命を合併して大同生命保険株式会社とし、初代社長となった。この間32年堂島米穀取引所理事となり、36年理事長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「広岡久右衛門」の解説

広岡久右衛門

江戸時代の大坂の豪商,加島屋当主代々の通り名。村上源氏の流れをくむと伝えられ,もと摂津国川辺郡浪花村に居住したが,寛永2(1625)年業祖正教が大坂御堂前に移住して,加島屋久右衛門と号し,精米業を始め,同時に両替業を営んだ。その後,家業繁栄とともに,諸藩の蔵屋敷が立地し,蔵米の取り扱いに便利であった玉水町に移り,両替店兼諸国取引米問屋として発展した。享保16(1731)年,堂島米会所の公許に伴い,米仲買株が幕府により公認された際には,他の4家と共にその取締役として米方年行司に任ぜられ,堂島で重きをなす商家となった。加島屋久右衛門家は両替商でもあったが,通常の両替商とは異なり,堂島米市場と深いつながりを持つ入替両替であった。入替両替とは,諸藩蔵屋敷が発行する米切手を担保にとって資金の融通を行う,もしくは米切手を貸し付ける両替商で,多額の資本を要し,大坂では十人両替に次ぐ大両替商であった。加島屋は蔵米取引と深く関係していたから,上野高崎,豊前中津,長州,筑前,越前,加賀などに大名貸を行った。江戸中期以降,大坂町人に御用金などが課せられたときには,加島屋久右衛門は鴻池善右衛門とならんで最高額を拠出しており,大坂町人のトップランクに位置していたといえる。幕末・維新期には貸付残高を持っていた大名は100以上におよんでいたといわれ,その多くは維新政府の藩債処分により損失となったが,なお家産を維持し,兵庫商社や大阪通商会社・為替会社の設立の際には主導的役割を果たした。<参考文献>宮本又次『大阪町人』

(宮本又郎)


広岡久右衛門(9代)

没年:明治42.6.20(1909)
生年:弘化1.9.28(1844.11.8)
明治時代の実業家。大坂の代表的な両替商加島屋久右衛門家第9代。第8代久右衛門(正饒)の3男。大坂土佐堀生まれ。幼名は文之助,のち正秋。兄喜三郎の早世のため早くから家督を相続,明治天皇が京都から東京に移ったとき,御用掛を務める。明治1(1868)年,政府紙幣である太政官札発行に際して,鴻池善右衛門らと共にその流布に尽力した。2年には大阪為替会社および大阪通商会社の惣頭取となる。21年には加島銀行を創立,その頭取となった。翌22年に初の大阪市会議員となり,市参事会員に推挙された。35年に護国生命,北海生命が合併して大同生命保険株式会社となり,初代社長に就任。36年には堂島米穀取引所理事長となった。

(作道洋太郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「広岡久右衛門」の意味・わかりやすい解説

広岡久右衛門 (ひろおかきゅうえもん)

江戸・明治期の大坂財界人の名跡。玉水町(現,西区土佐堀通)に米問屋と両替業を兼営した加島屋広岡家は堂島米市場の重鎮として幕府・諸藩の財用に貢献した。8代正饒は1867年(慶応3)兵庫商社肝煎,9代正秋(1844-1909)は明治新政府の会計基立金徴募,明治天皇東幸の御用掛,為替会社・通商会社惣頭取等を歴任。88年加島銀行を創立,のち大同生命保険会社社長,堂島米穀取引所理事長となる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広岡久右衛門」の解説

広岡久右衛門(9代) ひろおか-きゅうえもん

1844-1909 明治時代の実業家。
天保(てんぽう)15年9月28日生まれ。8代広岡久右衛門の3男。兄の早世で家督をつぐ。為替会社・通商会社の惣頭取などをつとめ,明治21年加島銀行を創立,頭取。35年大同(だいどう)生命保険初代社長。堂島米穀取引所理事長。明治42年6月20日死去。66歳。大坂出身。名は正秋。

広岡久右衛門(初代) ひろおか-きゅうえもん

?-? 江戸時代前期の豪商。
寛永2年(1625)大坂御堂前で精米業と両替業をはじめる。名は正教。屋号は加島屋(かじまや)。代々家業をつぎ,3代正道のとき玉水町にうつる。4代宗喜は享保(きょうほう)16年(1731)米仲買株の米年寄となる。各藩の蔵屋敷為替方をつとめ,大名貸もした。

広岡久右衛門(8代) ひろおか-きゅうえもん

1806-1869 江戸時代後期の豪商。
文化3年生まれ。慶応3年兵庫開港にともなう商社の設立に際し,肝煎(きもいり)となる。明治2年死去。64歳。大坂出身。名は正饒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「広岡久右衛門」の解説

広岡 久右衛門(9代目) (ひろおか きゅうえもん)

生年月日:1844年9月28日
明治時代の実業家。加島銀行頭取;大同生命保険初代社長
1909年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の広岡久右衛門の言及

【加島屋】より

…江戸時代の大坂の富商。大坂の加島屋には広岡久右衛門家を本家とする暖簾内(のれんうち)と,長田作兵衛家を本家とする暖簾内の2系統があった。両家とも堂島米市場に関係する入替両替(米切手担保の金融業)を主業とし,大名貸を手広く行い,諸藩の蔵元を務めた。…

※「広岡久右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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