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堂島米市場 どうじまこめいちば

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

堂島米市場
どうじまこめいちば

江戸時代,大坂堂島新地に開かれた米市場。もと淀屋に町人蔵元が集って米市を立て相場を争っていたが,元禄9 (1696) 年淀屋闕所 (けっしょ) ののちこの地に米市場が移り,享保 16 (1731) 年米仲買に株が許されてのちは,米仲買,両替屋,蔵屋敷が,蜆川,堂島川間の砂州に集中し,とりわけ浜通1丁目の米相場が有名になった。

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世界大百科事典 第2版の解説

どうじまこめいちば【堂島米市場】

大坂堂島にあった江戸時代最大の米市場。大坂は江戸初期から蔵屋敷蔵元が存在し,蔵米を中心とした全国的な米の集散地であった。初期の米市場については不明だが,万治・寛文(1658‐73)ごろには,淀屋橋南詰にあった当時の有力な町人蔵元である淀屋の門前に米商人たちが集まり,米売買が行われたという。いわゆる淀屋米市がこれであるが,1697年(元禄10)にいたって,堂島新地の開発にともない,米市場もこの地に移転した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

堂島米市場
どうじまこめいちば

近世大坂における米取引の中心地。もと淀屋(よどや)門前で立っていた米市が1697年(元禄10)堂島(大阪市北区)に移り、米仲買や両替屋、諸藩蔵屋敷も集まって取引量も増え、ここでの米相場が全国に大きく影響するようになった。1730年(享保15)帳合(ちょうあい)米取引(帳簿上で行う一種の先物取引)が公許されたあと、正米(しょうまい)(現物)取引も引き続き行われたが、実際には米切手の売買であり、諸藩領国からの未廻着(みかいちゃく)米を見越した切手の過剰発行がしばしばなされ、空米(くうまい)切手ないし空米取引事件として紛議を起こした。幕末に至り、米価変動甚だしいため、期限4か月の帳合米取引は1か月の石建(こくだて)米商いに転じたが、1869年(明治2)廃止され、正米取引のみとなった。[岩橋 勝]

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世界大百科事典内の堂島米市場の言及

【米会所】より

…もっとも初期の米取引は特定の会所をもつことなく,随時仲買が寄集して相場立てを行ったと思われ,各地の米会所の成立年次は明確でなく,興廃・中絶も一様ではないが,西廻海運開通以前,北国米・江州米の集散地であった大津では,1644年(正保1)に成立している。また諸藩蔵屋敷の発行する米切手によって正米取引が行われた大坂では,前期に町人蔵元淀屋の店頭で相場立てが行われたが,淀屋闕所後の97年(元禄10)ころ堂島米市場が成立したという。この米切手による正米取引は,しだいに未着米の先物取引などの延売買へと進み,さらに建物米を設けて,つなぎ売買を行う定期取引へと進展した。…

【商品取引所】より

… 商人たちはその後,米市を新開地の堂島に移した。大坂商人による堂島米市場が幕府から公認されたのが1730年(享保15)である。その時点では帳合米(ちようあいまい)といって帳面上だけで決済する先物と,正米(しようまい)といって現物決済の取引が区別されていた。…

【天満】より

…もっとも,天満というときは天満組の範囲よりもかなり広く,堂島,堂島新地から長柄町までをも含み,飛地もあった。雑喉場(ざこば)魚市場とともに,大坂の三大市場と称された天満青物市場,堂島米市場などがあり,また諸藩の蔵屋敷も多数設置されて,大坂の商品流通の一中心であった。明治時代以降は造幣局をはじめ工場の進出も盛んで,大阪時計会社,天満紡績会社やビール工場,ガラス工場などもあった。…

【堂島】より

…1716年(享保1)隣接の曾根崎新地から出火して258軒が焼失したが,27年には米仲買株を許され,米仲買,両替屋が軒を並べる町になった。舟運の利便から,対岸中之島とともに諸藩の蔵屋敷が集中,堂島米市場は諸国米市場の中心的存在として,ここで立てられた相場が全国の規準となった。明治維新後は工業も進出し,五代友厚の朝陽館製藍所のほか,渋谷紡織所(のち堂島紡績所)も設けられ,また大阪商法会議所(のち大阪商業会議所→大阪商工会議所)や大阪堂島米商会所なども設けられ大阪経済の一中心となった。…

【浜方記録】より

…原題は《御触書之留並浜方記録》。1716‐1843年(享保1‐天保14)の堂島米市場に関する幕府法令その他の記録。江戸時代,堂島米仲買であった室谷家(播磨屋)に伝わる古記録から7代賀澄が重要記事を編年に抄録,8代賀世が書き継いだもの。…

【淀屋个庵】より

…さらに町人蔵元として諸藩の大坂廻米の販売を大規模に引き受け,そのため北浜の淀屋の店頭には米商人が群集して米市が立つようになったという。のちの堂島米市場の濫觴(らんしよう)とされる。そして幕府,諸侯への貸金は巨額にのぼった。…

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