堂島米市場(読み)どうじまこめいちば

精選版 日本国語大辞典 「堂島米市場」の意味・読み・例文・類語

どうじま‐こめいちば ダウじま‥【堂島米市場】

江戸時代、大坂の堂島に開かれた米穀市場。はじめ淀屋橋南詰の淀屋の門前(北浜)で開かれていた米市場が、元祿一〇年(一六九七)に堂島新地に移転したのにはじまる。明治にはいり堂島米穀取引所に引き継がれ、昭和一四年(一九三九)日本米穀株式会所に統合された。堂島。

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改訂新版 世界大百科事典 「堂島米市場」の意味・わかりやすい解説

堂島米市場 (どうじまこめいちば)

大坂堂島にあった江戸時代最大の米市場。大坂は江戸初期から蔵屋敷蔵元が存在し,蔵米中心とした全国的な米の集散地であった。初期の米市場については不明だが,万治・寛文(1658-73)ごろには,淀屋橋南詰にあった当時の有力な町人蔵元である淀屋の門前に米商人たちが集まり,米売買が行われたという。いわゆる淀屋米市がこれであるが,1697年(元禄10)にいたって,堂島新地の開発にともない,米市場もこの地に移転した。これが堂島米市場のはじまりである。正徳(1711-16)ごろには江戸の三谷三左衛門ほか2名が幕府から当地大坂米座御為替御用会所の設立を許可され,同会所が米取引をとりしきった。同会所は1722年(享保7)ごろには廃止されたが,以降も江戸商人による米会所が計3回にわたって許可された。すなわち紀伊国屋源兵衛ほか2名による大坂御為替米御用会所(1725-26),中川清三郎ほか2名による堂島永来町御用会所(1727-28),冬木善太郎ほか4名による北浜冬木会所(1730)がそれである。このように幕府は当初堂島における米取引を江戸商人によって統制しようとしたが,大坂の米商人はこれに強く反発し,たびたび嘆訴を行った。この結果,幕府は30年8月にいたって,ついに大坂商人による堂島米市場の運営を認め,同時に帳合米(ちようあいまい)取引を公認した。幕府は1722年ごろから明確となった米価の下落に対して,従来禁止していた米の延売買(先物取引)を緩和しつつあったが,堂島における帳合米取引の公認はその意味で重要である。こうして堂島米市場においては正米取引すなわち諸蔵屋敷発行の米切手による売買と,完全な先物取引である帳合米取引の両者が行われた。帳合米取引は三季商内(あきない)と称し1年を3季に分けて取引されたが,その標準米は建物米とよばれ,筑前,肥後,中国,広島の4蔵米および加賀米があてられた。31年には米仲買株500枚が,翌年には米方両替(遣来(やりくり)両替ともいう)株50枚が下付され,彼らは堂島における営業独占権を保証された。米仲買株はその後増加し,計1351枚(一説に1300枚)となる。米仲買は浜方と総称され,堂島15町に住したが,蔵米の入札を行うほか,正米方,帳合方,積方の3種のうち1種または2種を兼業した。積方とは正米の蔵出しおよび輸送を行うものである。また米仲買のうちより5人の米方年行司が選出された。彼らの任期は1年で,堂島船大工町に設置された米方会所に出勤し,浜方に関する公私の取締りのほか,浜方を代表して諸般の折衝などにあたった。幕末期には,全国的な米相場形成や米穀流通のうえに果たす堂島米市場の機能も低下し,とくに帳合米取引が不振となった。そこで1863年(文久3)以降にはその仕法を縮小した石建米商が盛んとなり,米市場ではこれら3種の取引が行われることとなった。明治以後は大阪堂島米商会所となる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「堂島米市場」の意味・わかりやすい解説

堂島米市場
どうじまこめいちば

近世大坂における米取引の中心地。もと淀屋(よどや)門前で立っていた米市が1697年(元禄10)堂島(大阪市北区)に移り、米仲買や両替屋、諸藩蔵屋敷も集まって取引量も増え、ここでの米相場が全国に大きく影響するようになった。1730年(享保15)帳合(ちょうあい)米取引(帳簿上で行う一種の先物取引)が公許されたあと、正米(しょうまい)(現物)取引も引き続き行われたが、実際には米切手の売買であり、諸藩領国からの未廻着(みかいちゃく)米を見越した切手の過剰発行がしばしばなされ、空米(くうまい)切手ないし空米取引事件として紛議を起こした。幕末に至り、米価変動甚だしいため、期限4か月の帳合米取引は1か月の石建(こくだて)米商いに転じたが、1869年(明治2)廃止され、正米取引のみとなった。

[岩橋 勝]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「堂島米市場」の意味・わかりやすい解説

堂島米市場
どうじまこめいちば

江戸時代,大坂堂島新地に開かれた米市場。もと淀屋に町人蔵元が集って米市を立て相場を争っていたが,元禄9 (1696) 年淀屋闕所 (けっしょ) ののちこの地に米市場が移り,享保 16 (1731) 年米仲買に株が許されてのちは,米仲買,両替屋,蔵屋敷が,蜆川,堂島川間の砂州に集中し,とりわけ浜通1丁目の米相場が有名になった。米 100石単位の延べ売買を行う帳合米商内 (ちょうあいまいあきない) をはじめ,米切手による正米市 (しょうまいいち) ,小口の取引である虎市 (とらいち) も立ち,米方年行司を選んで取締りを行なった。明和8 (71) 年米会所ができ,明治以後は大阪堂島米商会所に引継がれた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「堂島米市場」の解説

堂島米市場
どうじまこめいちば

江戸時代,大坂堂島で米の大量取引・延取引などを行った米穀市場。もと淀屋の門前の米市が1697年(元禄10)堂島新地に移転,1730年(享保15)に帳合米商(ちょうあいまいあきない)が公認され,翌31年には米仲買株が許された。正米商・帳合米商を中心に大量の米の取引が行われたため,当地には米仲買・両替屋・蔵屋敷が多く集まった。当地の米相場が全国の米相場を平準化する役割をはたし,物価にも大きな影響を与えた。堂島は天満の青物市,雑喉場(ざこば)の魚市とともに3大市場といわれる。1869年(明治2)空米取引が禁止され,71年に正米商の堂島米会所(76年に堂島米商会所)として再興された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「堂島米市場」の解説

堂島米市場
どうじまこめいちば

江戸時代,大坂の堂島に設けられた米市場
現在の大阪市北区にあった。17世紀後半,諸藩の蔵物販売にあたる蔵元が出現し,米売買・米相場が行われるようになって,1697年淀屋橋南詰から新開の堂島に移った。1730年米仲買に株が許可され,堂島は幕府官許の米市場として発展,全国米相場の中心となった。1876(明治9)年米穀取引所に転身。

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世界大百科事典(旧版)内の堂島米市場の言及

【米会所】より

…もっとも初期の米取引は特定の会所をもつことなく,随時仲買が寄集して相場立てを行ったと思われ,各地の米会所の成立年次は明確でなく,興廃・中絶も一様ではないが,西廻海運開通以前,北国米・江州米の集散地であった大津では,1644年(正保1)に成立している。また諸藩蔵屋敷の発行する米切手によって正米取引が行われた大坂では,前期に町人蔵元淀屋の店頭で相場立てが行われたが,淀屋闕所後の97年(元禄10)ころ堂島米市場が成立したという。この米切手による正米取引は,しだいに未着米の先物取引などの延売買へと進み,さらに建物米を設けて,つなぎ売買を行う定期取引へと進展した。…

【商品取引所】より

… 商人たちはその後,米市を新開地の堂島に移した。大坂商人による堂島米市場が幕府から公認されたのが1730年(享保15)である。その時点では帳合米(ちようあいまい)といって帳面上だけで決済する先物と,正米(しようまい)といって現物決済の取引が区別されていた。…

【天満】より

…もっとも,天満というときは天満組の範囲よりもかなり広く,堂島,堂島新地から長柄町までをも含み,飛地もあった。雑喉場(ざこば)魚市場とともに,大坂の三大市場と称された天満青物市場,堂島米市場などがあり,また諸藩の蔵屋敷も多数設置されて,大坂の商品流通の一中心であった。明治時代以降は造幣局をはじめ工場の進出も盛んで,大阪時計会社,天満紡績会社やビール工場,ガラス工場などもあった。…

【堂島】より

…1716年(享保1)隣接の曾根崎新地から出火して258軒が焼失したが,27年には米仲買株を許され,米仲買,両替屋が軒を並べる町になった。舟運の利便から,対岸中之島とともに諸藩の蔵屋敷が集中,堂島米市場は諸国米市場の中心的存在として,ここで立てられた相場が全国の規準となった。明治維新後は工業も進出し,五代友厚の朝陽館製藍所のほか,渋谷紡織所(のち堂島紡績所)も設けられ,また大阪商法会議所(のち大阪商業会議所→大阪商工会議所)や大阪堂島米商会所なども設けられ大阪経済の一中心となった。…

【浜方記録】より

…原題は《御触書之留並浜方記録》。1716‐1843年(享保1‐天保14)の堂島米市場に関する幕府法令その他の記録。江戸時代,堂島米仲買であった室谷家(播磨屋)に伝わる古記録から7代賀澄が重要記事を編年に抄録,8代賀世が書き継いだもの。…

【淀屋个庵】より

…さらに町人蔵元として諸藩の大坂廻米の販売を大規模に引き受け,そのため北浜の淀屋の店頭には米商人が群集して米市が立つようになったという。のちの堂島米市場の濫觴(らんしよう)とされる。そして幕府,諸侯への貸金は巨額にのぼった。…

※「堂島米市場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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