改訂新版 世界大百科事典 「通商会社」の意味・わかりやすい解説
通商会社 (つうしょうかいしゃ)
通商司の管理下に設立された内外商業の統制にあたる会社。維新政府の初期の経済政策は,商品・貨幣市場の統一と集権化の促進のため,三都その他の商人資本の動員と,鉱山・鉄道など重要産業の政府直営を軸に進められた。そのため政府は,1869年(明治2)初頭から生野鉱山など金銀銅鉱山の積極的な再開発に着手するとともに,同年4月には外国官中に通商司を設け(1869年6月会計官へ移管),諸藩国産物の管理や外国貿易の統制にのりだした。通商司は,このような政策を推進するため,三井,小野,島田などの都市大商人を動員し,内外商業の統制に当たる通商会社と,これに資金を供給する為替会社を各地に設立させた。会社設立の行政指導は,危惧,逡巡する商人たちに対してきわめて高圧的に行われ,会社規則も官制のものが交付された。その結果69年夏ころから,東京をはじめ,大阪,京都,横浜,神戸,大津,敦賀,新潟の各都市に相次いで通商会社と為替会社および市中商社が,その他の地方都市には地方商社が設立されることになったのである。69年9月ころに制定された〈官版大阪商社規則〉によれば,その企業形態は社員の出資による合本組織の形をとり,出資者には番号・名前を記した株券が交付されたが,額面は等額ではなく,譲渡の際は事前に役員の承認を得なければならなかった。また資本金や有限責任の明示もなく,入社についても身元の確認と社員の同意が必要とされた。他方その業務は,市中商社や地方商社を統轄し,為替会社から供給される前貸資金を管下の商社に流して,地方産物の集荷・販売を進めることになっていた。そして新規開業に対する許認可権と海外貿易に対する排他的独占権も与えられていた。
しかしその営業はおおむね不首尾に終わった。同社の組織や性格が旧株仲間や産物会所の域を脱せず,変動する市場状況や海外貿易に耐え得なかったからである。また,会社規則に盛られた海外貿易の独占権も外国商人や公館の攻撃の的となり,1870年春には独占条項を削除し,国内商業についても統制を緩和した新規則を頒布しなければならなかった。そして71年8月には通商司廃止と廃藩置県によって役割を終え,相次いで整理・解散を余儀なくされた。
執筆者:山本 弘文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報