廖平(読み)りょうへい

精選版 日本国語大辞典 「廖平」の意味・読み・例文・類語

りょう‐へいレウ‥【廖平】

  1. 中国、清末から中華民国初期の儒学者四川省井研県の人。初め今文派公羊学立場から古学を否定し、康有為影響を与えたといわれる。著「今古学考」「何氏公羊訓詁」など。(一八五二‐一九三二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「廖平」の意味・わかりやすい解説

廖平
りょうへい
(1852―1932)

中国、清(しん)末から中華民国初めの特異な思想家。字(あざな)は季平、号は四益、五訳、六訳。四川(しせん)省井研(せいけん)の人。その学説は六変したといわれているが、それは思想的視野の拡大によるもので、孔子の思想の正系の探究に始まり、それを一国家という限定的なものから世界的、宇宙的なものへと拡大解釈していった点に特色がある。その根底には清末公羊(くよう)学があって、戊戌(ぼじゅつ)の変法(1898)に加わった人々と共通の思想的基盤があるが、なかでも彼の『闢劉篇(へきりゅうへん)』『知聖篇』は、康有為(こうゆうい)の『新学偽経考』『孔子改制考』に影響を与えたとされ、また『大同書』の構想にも彼の思想との類似点がみいだされる。

[有田和夫 2016年3月18日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「廖平」の意味・わかりやすい解説

廖平
りょうへい
Liao Ping; Liao P'ing

[生]咸豊2(1852)
[没]1932
中国,清末の学者。字は季平,登延。号は学斎。四川省井研県の人。光緒年間 (1875~1907) ,科挙に合格して進士となったが,成都で孔教扶輪社を組織し,もっぱら研究,教育活動に専念した。清末公羊学の泰斗といわれ,その著『今古学考』では,今文学古文学系統を明瞭に分ち,みずからの今文学の立場を明らかにしている。ただし,生涯を通じて学風が五変六変しており,思想全体についてはやや統一を欠くうらみがある。ほかに『五経注疏』『六訳館叢書』など。

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百科事典マイペディア 「廖平」の意味・わかりやすい解説

廖平【りょうへい】

中国,清末民国の学者。字は季平,四川省出身。成都尊経書院で春秋公羊(くよう)学を学び,進士となったが,任官しなかった。経学についての説は奔放自在で,生涯に四変したという。康有為への影響大。著書は《六訳館叢書》(1925年)に所収。
→関連項目新学偽経考

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世界大百科事典(旧版)内の廖平の言及

【今文学】より

… 最後に清代今文学を集大成したのは,康有為である。彼はまず劉逢禄や廖平(りようへい)(1852‐1932)の説を継承発展させて《新学偽経考》を著し,古文経書はすべて劉歆の偽作であり,孔子の〈微言大義〉は今文経にこそ記されていると論じ,ついで《孔子改制考》で,孔子を孔子教の開祖だとし,さらに《大同書》では,《礼記(らいき)》礼運篇の大同小康説と何休の張三世説とを結びつけた大同世界(ユートピア)への三段階歴史発展説を説いた。彼は,この説にもとづいて,立憲君主政体をめざす変法運動を進めて失敗に終わったが,彼の学問的成果の方は,現代でもなお意義を失っていない。…

※「廖平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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