建設者同盟(読み)けんせつしゃどうめい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「建設者同盟」の意味・わかりやすい解説

建設者同盟
けんせつしゃどうめい

大正後半期の早稲田(わせだ)大学を拠点にした学生の社会運動団体。1919年(大正8)9月ごろ、早稲田大学内の民人同盟会(同年2月結成)が具体的な運動路線をめぐる対立と人間的な親疎感によって分裂し、脱退した和田巌(いわお)、浅沼稲次郎(いねじろう)、三宅正一(みやけしょういち)らの学生が北沢新次郎教授の指導の下に結成、「最モ合理的ナル新社会之建設ヲ期ス」との綱領を掲げた。東京帝国大学の新人会と並ぶ形で、初めはデモクラシーの研究から出発し、やがて社会主義運動・労働運動、とくに「民衆の中へ」を合いことばにして実際の農民解放運動へと進んでいった。この間22年10月に機関誌『建設者』を創刊するとともに、東大明大渡部義通(わたなべよしみち))その他の大学の学生や、農民運動家、青年団活動家(羽生三七(はにゅうさんしち))、中国留学生(彭湃(ほうはい))らも加えて幅広い団体に発展した。23年1月、同盟は「無産階級の絶対的解放を実現せんとする戦闘機関」に自らを改編し、早大学内団体として文化同盟の結成を決定した(発足は5月)。建設者同盟は26年12月まで存続し、木崎(きざき)村争議をはじめ農民運動に顕著な活躍を示した。

[佐藤能丸]

『建設者同盟史刊行委員会編『早稲田大学建設者同盟の歴史』(1979・日本社会党中央本部機関紙局)』『早稲田大学大学史編集所編『稿本早稲田大学百年史 第3巻 上』(1980・早稲田大学出版部)』

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百科事典マイペディア 「建設者同盟」の意味・わかりやすい解説

建設者同盟【けんせつしゃどうめい】

1919年2月早大関係者を中心にデモクラシー普及を目的として結成された民人同盟会から同年10月脱退した浅沼稲次郎,三宅正一ら学生が北沢新次郎教授を擁して結成した社会主義運動団体。関東各大学学生・地方青年も参加し,農民運動開拓に当たったことが特色。1923年改組して学生団体から一般的結社となるが,無産政党運動の分裂とともに1926年末解散。新人会と並称された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「建設者同盟」の解説

建設者同盟
けんせつしゃどうめい

早稲田大学学生を中心とする思想団体。1919年(大正8)9月に民人同盟会を脱退した和田巌(いわお)・浅沼稲次郎・稲村隆一を中心に結成され,田所輝明・平野力三・三宅正一らが加盟。22年10月機関誌「建設者」創刊(のち「青年運動」「無産階級」「無産農民」と改題)。農民運動家を輩出し,日本農民組合の戦闘化を促進した。26年12月,無産政党組織をめぐって労働農民党派と日本労農党派へ分裂し,解散した。

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世界大百科事典(旧版)内の建設者同盟の言及

【浅沼稲次郎】より

…1910年上京,18年早稲田大学予科に入学,雄弁会,ボート部に属したが,翌年2月,民人同盟会結成に参加した。同会が急進,現実両派に分裂するや後者に属し,和田巌,稲村隆一らと9月,建設者同盟を結成,以後田所輝明,三宅正一らと行動をともにした。20年大学部に進み,23年卒業,同年5月の早稲田軍教事件では反対運動で活躍,右翼学生のリンチにあう。…

【学生運動】より

…新人会は〈人類解放の新気運に協調し之れが促進に努む〉〈現代日本の合理的改造運動に従ふ〉を綱領として掲げ,研究会・講演会を催し,また実際運動として各地に支部を設け,亀戸新人セルロイド工組合を組織したりした。19年には早稲田大学の学生浅沼稲次郎,稲村隆一らが建設者同盟を結成し,新人会と呼応してデモクラシーの普及を目的に学内宣伝を行った。また,建設者同盟は地方青年(とくに農村)への宣伝活動も行った。…

※「建設者同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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