改訂新版 世界大百科事典 「彭湃」の意味・わかりやすい解説
彭湃 (ほうはい)
Péng Pài
生没年:1896-1929
中国の革命家。幼名は天泉。広東省海豊県の人。県で屈指の地主の家に生まれ,1917年に日本留学,早稲田大学専門部に学び,建設者同盟,宇宙社等に参加,21年に帰国後,社会主義青年団に加入した。故郷で農民運動を始め,23年元旦,海豊県総農会を創立した。地主の反抗にあって広州にのがれ,24年4月に中国共産党に入党,国共合作のおりから国民党農民部秘書となり,農民運動講習所初代所長となった。翌年の広東政府の東征で陳炯明(ちんけいめい)の支配がくずれると,農民協会はじめ各種の民衆団体を組織したため,海豊は〈小モスクワ〉とよばれるにいたった。のち武漢に赴き,中華全国農民協会の執行委員となるが,国共分裂後,南昌蜂起に参加した。南下して中国最初の人民政権,海陸豊蘇維埃(ソビエト)の成立を指導,その失敗後も東江一帯(広東省東部)で暴動を組織するなどの活動をした。28年11月から上海での工作にかわったが,翌年8月,叛徒の密告でとらわれ,処刑された。
執筆者:狭間 直樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報