忍岡(読み)シノブガオカ

デジタル大辞泉 「忍岡」の意味・読み・例文・類語

しのぶがおか〔しのぶがをか〕【忍岡】

東京都台東区の上野台地の異称。現在の上野公園一帯

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精選版 日本国語大辞典 「忍岡」の意味・読み・例文・類語

しのぶ‐が‐おか‥をか【忍岡】

  1. 東京都台東区の北西部にある上野台地の旧称。江戸時代は東叡山寛永寺の境内で、現在は上野公園がある。忍の森。上野山。

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日本歴史地名大系 「忍岡」の解説

忍岡
しのぶがおか

東高野街道(府道枚方―富田林―泉佐野線)の西、清滝きよたき街道(国道一六三号)の北に東西に延びる忍岡丘陵の西端部をいう。標高約三四メートル(比高一五―二〇メートル)を最高点とし、周囲約二〇〇メートル四方の独立丘の体をなす。北に讃良ささら川、南に清水しみず川が西流する。北西端に忍岡古墳があり、その後円部上に忍陵しのぶがおか神社がある。かつては「しのびのおか」と訓じ、おか山ともいった。「河内鑑名所記」に「岡山 忍びの岡と古歌によみしは此処の事也と申し伝へ侍る」とある。

古代には忍岡を含む一帯は牧岡まきおか(「和名抄」高山寺本)に属したと考えられ、郡衙は当地付近に設けられていたと推定される。中世にも土豪の居館地となっており、三好長慶が飯盛いいもり城を本拠としていた頃は、長慶に仕え松永久秀に属する結城山城守忠正の一族が「岡山城」に拠っていた(フロイス「日本史」)。忠正(アンリケ)やその息左衛門尉(アンタン)は河内での早期の入信者として知られるが(→砂村、岡山城主であった結城ジョアン(忠正の甥の子)やジョアンの後見役として同城にいた忠正の甥結城弥平次(ジョルジ)もその影響下に入信し、フロイス「日本史」に「ジョルジ弥平次殿は、結城アンリケ殿なるキリシタンの殿の甥にあたる高貴な武士であった。彼は当地方で改宗した最初のキリシタンの一人であった。(中略)彼は、国衆で河内の一城の主であり、(下略)」、「ジョルジは、甥の家を管理していたが、その甥ならびに城中のすべての兵士と家臣をキリシタンにした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「忍岡」の意味・わかりやすい解説

忍岡【しのぶがおか】

東京都台東区の上野公園一帯の古称。〈しのぶのおか〉〈しのびのおか〉とも。武蔵野の東端に位置する丘陵地で,〈しのびのおか〉として歌枕ともなっていた。広義には上野の山一帯をさしたが,1625年徳川将軍家の菩提所寛永寺が天海によって建立されて以後,狭義には同寺の建つ小丘陵をいったらしい。狭義の忍岡の南に広がる池が不忍池(しのばずのいけ)。
→関連項目湯島聖堂

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