日本大百科全書(ニッポニカ) 「張恵言」の意味・わかりやすい解説
張恵言
ちょうけいげん
(1761―1802)
中国、清(しん)代の学者、文人。江蘇(こうそ)省常州府武進の人。字(あざな)は皋文(こうぶん)。号は茗柯(めいか)。1799年(嘉慶4)の進士。1801年翰林院(かんりんいん)編修を授けられるが翌1802年病没。経学者としては易や礼の専門家として知られ、『周易虞氏義(しゅうえきぐしぎ)』9巻、『儀礼図(ぎらいず)』6巻などの著書がある。詞壇ではそれまで主流だった浙西(せっせい)派の技巧偏重に対して「寄托(きたく)」(詩における比興(ひきょう)にあたる)を重んずる「意内言外」の説をたて、『詞選』2巻にその主張を示し、常州派の開祖とされる。文章では中年以後、劉大櫆(りゅうたいかい)を知り桐城(とうじょう)派古文を学びつつ駢文(べんぶん)をも取り入れた簡潔な文体を提唱、同郷の惲敬(うんけい)とともに陽湖派古文の一派を開いた。『茗柯文編』『茗柯詞』がある。
[伊藤虎丸 2016年3月18日]
『青木正児著『清代文学評論史』(1950・岩波書店)』