張郃(読み)ちょうこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「張郃」の意味・わかりやすい解説

張郃
ちょうこう
(?―231)

中国、三国魏(ぎ)の武将。字(あざな)は儁乂(しゅんがい)。河間(かかん)郡(ばく)県(河北(かほく)省任丘(にんきゅう)県)の人。後漢(ごかん)末の黄巾(こうきん)の乱の際、募兵に応じて黄巾を討伐し、軍の司馬(しば)となって韓馥(かんふく)に仕えた。韓馥が袁紹(えんしょう)に冀州(きしゅう)を譲ると、袁紹の校尉(こうい)となった。官渡(かんと)の戦いの際に、曹操(そうそう)軍に烏巣(うそう)の食糧貯蔵庫が襲われたとき、精鋭を率いて救援すべきことを袁紹に進言したが、聞き入れられなかった。しかも郭図(かくと)(袁紹の重臣)に讒言(ざんげん)されたため、曹操に降伏した。曹操は「あたかも韓信(かんしん)が降伏したときのようだ」と、項羽(こうう)を破った劉邦(りゅうほう)の名将に準(なぞら)えて、張郃を歓迎した。その評に違(たが)わず各地で活躍し、漢中(かんちゅう)争奪戦のときにも、張郃は巴東(はとう)郡・巴西(はせい)郡を平定した。第一次北伐(ほくばつ)の際には、街亭(がいてい)の戦いで山上に陣取った馬謖(ばしょく)を包囲したうえで、水源を断って撃破し、諸葛亮(しょかつりょう)(孔明(こうめい))を撤退させた。231年、第四次北伐より撤退する諸葛亮を追撃するよう司馬懿(しばい)に命ぜられ、反対したものの結局は追撃させられ、木門(ぼくもん)で戦死した。『三国志演義』では、街亭の戦いで馬謖を討った主力は、司馬懿にかえられている。

[渡邉義浩]

『渡邉義浩著『「三国志」武将34選』(PHP文庫)』

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