徳源寺(読み)とくげんじ

日本歴史地名大系 「徳源寺」の解説

徳源寺
とくげんじ

[現在地名]小樽市塩谷二丁目

塩谷しおや市街地のやや山手にある。曹洞宗。太平山と号する。本尊は八大竜王。近世のヲショロ場所シウヤ番家下にあたる。一八六二年(文久二年)八月松前法源ほうげん寺などの蝦夷地への末寺建立願が幕府寺社奉行により許容され(「木村時義御用留」北海道大学附属図書館蔵)創建された。教団の寺号認可は六四年(元治元年)九月(「同役衆進達留」国会図書館蔵)。同時に建立の曹源そうげん(現石狩市)禅源ぜんげん(現古平町)とともに蝦夷三源寺と称された。本尊の八大竜王は、一八六二年出羽国善宝ぜんぽう(現山形県鶴岡市)から勧進したもので、松前の豪商伊達翁記の寄付によるという(寺院沿革誌)


徳源寺
とくげんじ

[現在地名]東区新出来町

蓬莱山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は釈迦牟尼仏織田信雄の創建で、開山は忠嶽瑞恕。もと熱田にあり、山号(蓬莱山は熱田の別名)もこれに由来する。寛文二年(一六六二)(一説に五年)愛知郡石仏いしぼとけ(現昭和区)に、元禄二年(一六八九)には同郡日置ひおき(現中区・中川区・中村区)に移って清涼山宝泉ほうせん寺と称したが、寛保四年(一七四四)現在の地に転じ、文化六年(一八〇九)現寺名に改めた(尾張志、徇行記)


徳源寺
とくげんじ

[現在地名]大宇陀町大字岩室

岩室いわむろ集落の西方山中に位置。長泉山と号し、臨済宗大徳寺派。本尊は釈迦如来坐像。開山は仏海祖灯という。松山藩織田家の菩提寺で、寛政五年(一七九三)四月織田常真(信雄)をここに葬り、同九年織田長頼が亡父菩提のため建立した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android