デジタル大辞泉 「焼酎」の意味・読み・例文・類語
しょう‐ちゅう〔セウチウ〕【焼酎】
[補説]酒税法では、連続式蒸留機で蒸留した甲類と、単式蒸留機で蒸留した乙類に分類される。→甲類焼酎 →乙類焼酎
[類語]酒・
日本の代表的な蒸留酒。原料として米、麦、ソバなどの穀類やサツマイモ、ジャガイモなどが用いられる。中国の茅台酒(マオタイチウ)、イギリスのウイスキー、フランスのコニャックに相当する名蒸留酒といわれる。新式蒸留法による「甲類」と、伝統的な蒸留法による「乙類」に分かれる。
現在の焼酎はアルコール分として20度から45度(%と同じ)まであるが、25度のものが量的にもっとも多い。焼酎の定義は、米、麦、いもなどのデンプン質を麹(こうじ)で糖化、発酵させ、また糖蜜(とうみつ)など糖質原料を発酵させ、蒸留したものである。甲類は連続式蒸留機を使用し、乙類は単式蒸留機(ポットスチル)を用いてつくる。アルコール分は甲類は36度以下、乙類は45度以下とされている。要するに甲類は純アルコールを水で薄めたもので、ホワイトリカーともよばれる。乙類は旧式焼酎とか本格焼酎ともよばれ、わが国固有のものである。ウイスキー、ブランデーと税法上異なるのは、焼酎が原料に発芽穀類(たとえば麦芽)や果実類を使用しない点である。また、糖蜜などの使用は原則として甲類に限られている(奄美(あまみ)大島の黒糖焼酎は乙類であるが例外)。
[秋山裕一]
鹿児島県伊佐(いさ)市大口大田(おおくちおおた)の郡山八幡(こおりやまはちまん)の社殿から発見された墨書木片(大工の落書き)には、1559年(永禄2)この地方で「焼酎」が飲まれていたことを示す記事があった。「焼酎」の語は中国になく、日本でもこの木片の文字が初見である。『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』(1713)には、「焼酒」の項に「しやうちう」「シヤウツユウ」と仮名を振り、「火酒、阿剌吉酒(アラキサケ)、今焼酎ノ字ヲ用フ、酎ハ重醸酒ノ名也(なり)、字義亦(また)通ズ」と解説している。阿剌吉酒は、アラビア語のアラック(汗とか蒸散の意)が語源で蒸留酒を意味し、同様の語が中国や東南アジアでも通用している。肥前(佐賀県・長崎県)・肥後(熊本県)あたりでは荒木酒、荒気酒と書いた例もある。
中国で初めて南蛮焼酒―阿剌吉・阿里乞(アリキ)の記録が現れるのは元朝(13~14世紀)であり、1477年(文明9)には沖縄に南蛮焼酒のあったことが済州島民の漂流報告で知られる。これらの焼酒を蒸留する器具はアラビア語でアランビックとよばれ、日本でもランビキ(蘭引)とよんでいる。中国人は、阿剌吉を南蛮(雲南地方)より伝わったものとし、沖縄では南蛮(タイ)から伝来したものと伝承している。沖縄に伝わった南蛮焼酒はのちに泡盛(あわもり)とよばれるようになるが、この製法はやがて薩摩(さつま)(鹿児島県)に伝わり、焼酎となるのである。
沖縄・鹿児島の焼酎は、米あるいは黍(きび)・粟(あわ)などの雑穀を原料として麹を加えて仕込む「醪取(もろみど)り」であったが、17世紀後半には他地域にも普及して、清酒の搾り粕(かす)を蒸留する「粕取り」も行われた。いも焼酎が登場するのは甘藷(かんしょ)(サツマイモ)が伝来し、普及した江戸後期のことである。
江戸時代には、焼酎はみりん、白酒(しろざけ)作りに用いられ、さらに草根木皮を加えて長寿薬として屠蘇(とそ)酒や保命酒などがつくられた。
[秋山裕一]
焼酎甲類は、連続式蒸留機により95%の精留アルコールをつくり、これに加水して所定のアルコール度数に調整し、貯蔵して出荷する。風味を増すために乙類を混和したものもあり(この場合、甲乙混和あるいは乙甲混和と多いものを先に記す)、5%以内では混和を表示しなくてよいことになっている。
焼酎乙類は、地方によりその地の農産物が主原料に使われ、多様である。主原料により製法は多少異なるが、原理的には、米麹を用いて一次もろみ(酒母に相当)をつくり、発酵、これに主原料を加えて二次もろみをつくり、熟成を待って単式蒸留機で蒸留する。米麹は、明治末期までは日本酒用の黄麹(きこうじ)菌を用いていたが、現在ではクエン酸をつくる黒(くろ)麹菌あるいはその変異した白麹菌を用いる。主産地の九州や沖縄地方は、温暖なために「寒づくり」という自然条件に恵まれず、発酵を阻害する乳酸菌などが増殖しやすい。これを防ぐためにクエン酸を多くつくる黒麹菌を使うのである。麹の作り方は日本酒の場合とほぼ同じである。原料は地方により特色があり香味も違う。沖縄の泡盛はタイ米を用い全量を麹としてもろみをつくる。したがって特有の香りと濃い味をもつ。熊本県球磨(くま)地方では米、鹿児島県・宮崎県・八丈島ではサツマイモ(酒質は軽く甘味があるが、ふかしいもの香りがする)、壱岐(いき)は麦(麦こがしのような風味がある)、奄美大島では米と黒糖が、宮崎県の高千穂や長野県ではソバが使われる。九州地域では麦焼酎が多い。清酒の搾り粕を使う粕取り、清酒やもろみを蒸留する酒取り、もろみ取り、米糠(ぬか)取りもある(第二次世界大戦の敗戦直後に出回ったカストリは、どぶろくを蒸留した密造酒である)。各地で焼酎がつくられ、また、原料事情も変わってきているので、かならずしも前記によらないことがある。飲み方もストレート、オンザロック、お湯割りなどさまざまである。
蒸留の方法は、かぶと釜(がま)という単式蒸留機を用いるが、直火(じかび)式と蒸気吹込み式あるいは間接加熱式などがある。焼酎はウイスキーのように再留をしないから、蒸留のやり方が品質に影響する。初留はアルコール分も高く香気成分も多いが、アルデヒドのような香りのよくない成分も含まれ、後留区分はもろみの温度が上がり、焦げ臭などがつきやすいので注意が必要で、適当量を除く。アルコール分35~42度くらいで貯蔵するが、貯蔵中に浮上してくる油性物質はリノール酸などの高級脂肪酸エステルで、油臭といわれる不快臭の元になったり、白濁をおこすので、品質の保持や澄明な焼酎を出荷するために濾過(ろか)精製する。
生産は南九州が主産地だが、かつては全国各地の酒造家の副業で製造され、1935年(昭和10)ごろには約9万キロリットルであった。第二次世界大戦後いち早く復活したアルコール飲料は焼酎で、50年には日本酒と同量の18万キロリットルを生産し、55年ごろには28万キロリットルを示した。以後20万キロリットルを保っていたが、焼酎人気の復活によって、消費は活発化した。81年には甲類約15万キロリットル、乙類約10万キロリットル、84年には甲類約35万キロリットル、乙類20万キロリットル、95年(平成7)には甲類38万キロリットル、乙類27万キロリットルと増加している。なお泡盛は古酒(クース)を珍重するが、わが国では焼酎を貯蔵、熟成させる習慣がなく、その年のものを消費している。しかしウイスキー、ブランデーに倣い、貯蔵、熟成したものも出回っている。
[秋山裕一]
『菅間誠之助著『焼酎のはなし』(1984・技報堂出版)』▽『菅間誠之助著『焼酎の事典』(1985・三省堂)』▽『朝日新聞西部本社社会部編『焼酎』(1983・朝日新聞社)』▽『福満武雄著『焼酎』(1976・葦書房)』▽『日本醸造協会編・刊『本格焼酎製造技術』(1991)』
日本在来の蒸留酒。〈焼〉は加熱の意,〈酎〉は重醸,つまり,つくりかえした濃い酒の意である。米,麦,サツマイモその他のデンプンをこうじ(麴)で糖化するとともに酵母で発酵させ,そのもろみ,またはもろみを搾ったあとの酒かすを単式蒸留機で蒸留する。これが在来の焼酎で,現今の酒税法ではこうしてつくられたアルコール分45%以下のものを焼酎乙類と呼ぶ。これに対して,糖みつなどの農産物を原料としてこれをアルコール発酵させ,連続式蒸留機を用いて高純度のアルコールをとり,これを水でうすめてアルコール分36%以下にした酒を焼酎甲類と呼んでいる。乙類は本来のものの意味で本格焼酎ともいい,甲類は1899年に神谷伝兵衛がドイツから輸入した連続式蒸留機でアルコールを製造し,これに水を加えてつくったのが初めで,新式焼酎と呼ばれ,近年はホワイトリカーの名で親しまれている。ちなみに神谷伝兵衛は1882年〈蜂印葡萄酒(はちじるしぶどうしゆ)〉を発売,のちに東京浅草に神谷バーを開き,〈電気ブラン〉の名を高からしめた人物である。
本格焼酎は製造法によって,もろみ取焼酎とかす取焼酎とに分けられる。現在のもろみ取焼酎は,黒こうじ菌系統のカビでつくったこうじと水の混合物に酵母を培養した酒母(一次もろみという)に,蒸したデンプン質原料と水を加えて二次もろみをつくって発酵させたあと蒸留するもので,アルコール以外の揮発成分を多く含んでいる。これに水を加えてアルコール分45%以下の製品とする。もろみ取焼酎は,二次もろみに使用するデンプン質原料の種類によって,米焼酎,いも焼酎,麦焼酎,黒糖焼酎,そば焼酎などと呼ばれる。米焼酎は熊本県が主産地で,人吉市を含む球磨(くま)地方でつくられるものは球磨焼酎の名で知られる。いも焼酎はサツマイモを使うもので,鹿児島県,宮崎県,東京都の伊豆諸島が主産地である。麦焼酎は長崎県壱岐(いき),黒糖焼酎は鹿児島県大島郡の特産,そば焼酎は宮崎県に多い。もろみ取焼酎の原型として,一次もろみをそのまま蒸留する沖縄特産の泡盛がある。以上のほか二次もろみにトウモロコシ,ヒエ,アワ,キビ,および上質の米ぬかなどを使うものもある。かす取焼酎は,清酒製造時の副産物である酒かすを原料としてつくられる。酒かすにはふつう5~8%のアルコール分が含まれているが,これに散水しながら桶に漬けこんで再発酵させると,アルコール分は2~3%ほど増加する。それをだんご状に成形し,もみ殻をまぶして単式蒸留機で蒸留するもので,アルコール分25~30%の本格的な焼酎である。ただし,第2次世界大戦後の混乱期に出回った粗悪な密造酒が〈かすとり〉と呼びならわされたことがあり,それと混同されて悪いイメージをもたれたこともあった。
焼酎の起源は,西洋の蒸留酒と同様,ヘレニズム文化に求めることができる。中国には元朝(1260-1368)に,現在の雲南地方から伝えられ,阿剌吉(あらき)または阿里乞(ありき)と呼ばれた。日本への伝来径路としては朝鮮半島説と南方海上路説がある。《李朝実録》によれば1404年(応永11),太宗より対馬(つしま)の宗貞茂に焼酎が贈られたとあり,これが最初の記録とされる。しかし,対馬,壱岐で明治以前に焼酎がつくられた事績はない。一方,琉球では1420年に現在のタイとの交易が始まり,焼酎が輸入されるとともに,15世紀末には製造が始められた。この焼酎は,のちに泡盛と呼ばれるようになるが,16世紀初頭に琉球王家より薩摩の島津侯へ贈られ,1596年(慶長1)当時すでに焼酎は薩摩藩領内の庶民にまで普及していた。南九州へ伝えられた焼酎は,清酒の製造法が加味され,多様化されていった。《本朝食鑑》(1695)が新酒のかす(糟)でつくるとしているように,清酒製造業の副業としてのかす取が本州では主流をなしていたが,沖縄や九州では米,麦,サツマイモのほかに雑穀を用いたもろみ取焼酎がそれぞれの地方の特産物としてつくられていた。これらのもろみ取焼酎が広域市場に進出するようになったのは昭和50年代に入ってからである。ちなみに,江戸時代の日本人の多くにとって,焼酎はきわめて激烈な酒として認識されていた。そのため傷口の消毒剤としておおいに利用されたが,一方,多量に飲んだのちタバコを吸い,あるいは,こたつに入って寝たところ,口から炎が出て黒こげになって死んだという話が,諸書に散見される。
→蒸留酒
執筆者:菅間 誠之助
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…酒造法(1953公布)で決められている酒類(アルコール分を1%以上含む飲料および溶かした場合アルコール1%以上となる粉末)を製造する産業。 1995年度の酒類の出荷量(課税移出量)をみると,清酒130万kl,焼酎(しようちゆう)68万kl,ビール698万kl,ウィスキーおよびブランデー18万kl,果実酒類17万kl,その他合成清酒,みりん,リキュールなどで,総出荷量は1000万klとなっている。 現在の産業構造の特徴としては,ビール,ウィスキーといった明治以降に日本で本格的に製造されるようになった洋酒類は,少数の大企業によって近代的な大工場で生産・販売がなされ,寡占化が進んでいるが,清酒,焼酎(とくに乙類)など江戸期以前からある酒類については,大企業もあるが多くは多数の小企業によって製造されていることである。…
※「焼酎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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