慧可(読み)えか

日本大百科全書(ニッポニカ)「慧可」の解説

慧可
えか
(487―593)

中国南北朝時代の僧。史実は不詳であるが、禅宗内に伝承があり、宗の第二祖とされる。諡号(しごう)は大祖禅師。俗は姫(き)氏、幼名は神光。洛陽(らくよう)の人。幼いころは外典(げてん)を学び、のちに仏典をみて、竜門の香山宝静(こうざんほうじょう)の下で出家。ついでインド僧の達磨(だるま)のことを知って尋ねたが、すぐに入門は許されず、一晩雪中で過ごして、臂(ひじ)を断ち切って誠意を示し、許されて弟子となったといわれ、これはのち「慧可断臂(だんぴ)」の画題となった。また安心(あんじん)問答により証悟(しょうご)して、達磨の法を嗣(つ)いで、鄴都(ぎょうと)(河南省)で説法したという。『楞伽経(りょうがきょう)』の研究講説者の一人。開皇(かいこう)13年3月16日示寂と伝える。

[石井修道 2017年1月19日]

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精選版 日本国語大辞典「慧可」の解説

えか ヱカ【慧可】

中国南北朝時代の僧。禅宗の第二祖。諡(おくりな)は大祖禅師。河南虎牢(ころう)の人といわれる。インドから渡来した達磨に師事。説法中迫害にあい、一〇七歳で処刑されたといわれる。僧可。(四八七‐五九三)→慧可断臂(えかだんぴ)

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世界大百科事典 第2版「慧可」の解説

えか【慧可 Huì kě】

487‐593
中国,北魏より隋代の禅僧。僧可ともいう。のちに中国禅宗の二祖として,大祖禅師の諡号(しごう)をうける。洛陽虎牢の人,姓は姫,はじめ神光と名のり,老荘と伝統仏教を習うが,インドより来た菩提達磨の禅をうけ,洛陽と河北の地方で,新仏教を広める。のちに二祖調心とよばれて,一般市民とともに,苦行労働に従ったこと,とくに最後に対立者側の告訴非業の死をとげるなど,生没年その他,伝説的な傾向が強い。嵩山(すうざん)少林寺で,達磨について入門をもとめ,一夕雪の中に立ちつづけ,臂(ひ)を断って決意を示した話や,達磨に安心の法を問うと,達磨が不安の心をみせよと答えたことで,慧可が一挙に悟した話,達磨がインドに帰るのに際し,他の3人の弟子たちとともに,その心境を問われたのに答えて,慧可が黙って礼拝したとき,汝はわが髄を得たと許されたとするなど,いずれも後に展開する禅思想の起源となる。

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