成章館跡(読み)せいしようかんあと

日本歴史地名大系 「成章館跡」の解説

成章館跡
せいしようかんあと

[現在地名]田原町田原 巴江

田原城桜門の南(現田原中部小学校)に位置し、文化七年(一八一〇)田原藩の儒医萱生玄順の企画によって建設された藩校。成章とは「論語」の公冶長第五にある「斐然成章」の句に基づく。天保七年(一八三六)の「田原藩御用方日記」(田原町蔵)によると、二〇坪の講堂と隣接して剣・槍術場があり、屋外に矢場・馬場が付帯していた。年齢六歳から成年期までの藩士子弟が入学し、文学と武術を講じた。渡辺崋山が「田原は武をじ徳を敷き、天地の間に独立致、掌大の地を百世に存候様御工夫第一也。

成章館跡
せいしようかんあと

[現在地名]佐賀市蓮池町大字蓮池

蓮池の城内にあったが、嘉永五年(一八五二)火災によって焼失し北名きたみように再建された。蓮池藩の藩校で鍋島直温が天明四年(一七八四)創設。数十名を選抜して寄宿舎に入れて教育を行った。その子直与も教育熱心で、蓮池藩の飛地である藤津郡塩田(現藤津郡塩田町)からも家臣の子弟をよんで学ばせた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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