ロシアの作家レフ・トルストイの叙事詩的長編小説。現代の『オデュッセイア』と称される。1863~69年執筆。1805年、列国同盟の一員としてロシアは遠征軍を西南ドイツ地方に進めたが、アウステルリッツの会戦でナポレオン軍に敗れ、07年ティルジットの講和で、トルコに対する軍事行動の自由と引き換えに、大陸封鎖に加わることを約し、イギリスとの通商の断絶を余儀なくされた。このことは当時のロシアにとって商業の破滅を意味した。貿易封鎖は耐えがたいものになった。イギリスとの取引はひそかに再開され、ティルジットの協定は破られ、ここに12年のナポレオン戦争が始まる。こうした有史の諸事件を舞台に、列国の政・官・財界の代表者、軍事や外交の立役者たち、名将クトゥーゾフやロシアのクロムウェルとよばれる改革家スペランスキーをはじめとする有名無名の歴史上の人物から、プラトン・カラターエフに代表される架空の農奴農民に至るまで、その登場人物は名前で記されただけでも559名を数える。
トルストイにとって『戦争と平和』は、こうした人物たちが織り成す「幾百万のかかわりあいを考究し、そのなかから百万分の一を選びとる」難事業であった。その打開策としてトルストイの視点は代表的なロシア貴族の若い世代に向けられた。彼らの生きた歴史のうちに、破滅の淵(ふち)にたたされたロシアがナポレオン戦争に逆転勝利したことの革命的な意味を未来にわたって問う糸口が開かれたのである。在野の地主ロストフ家のニコライとナターシャ、かつての顕臣ボルコンスキー家のアンドレイとマリヤ、富豪ベズーホフ家の庶子ピエール、政略を事とするクラーギン家のエレンとアナトーリ――その個性と環境、教養と志向、肉体と精神を対照的に表示するこれら青春群像が、歴史の進展をそれぞれに呼吸しつつ、愛憎の葛藤(かっとう)で結ばれ、国運の潮汐(ちょうせき)に呼応して生死のドラマを展開する。作者は個人の運命を国民的主題からそらさず、また1人の運命をも国民的課題によって無視することなく物語を進めた。ここに本書の革新性のすべてがある。「完了した」人生からの脱出をナポレオン的栄光の獲得にかけてアウステルリッツの会戦に臨んだアンドレイは、被弾して人事不省に陥る。やがて卑小なナポレオンの声を聞き、昏睡(こんすい)から覚めた目に映る果てしない秋の青空に彼は英雄的行為のむなしさを思い知らされ、帰郷しては妻の産後の死を告げられる。一方、ナポレオンの賛美者として登場した前途茫洋(ぼうよう)たる未定形の巨漢ピエールは、不貞な妻エレンとの結婚生活につまずき、決闘事件ののち、フリーメーソンの教義にひかれたり、領地農民の解放事業に貢献したりするが、人生の意義への懐疑は消えず、その生活は停滞する。こうした逆境のなかで人生への不信に沈湎(ちんめん)する『戦争と平和』の二大主人公にふたたび生活への活力を与えたのがロストフ家のナターシャである。彼女は最年少の13歳で、太陽のごとき光源として物語に登場し、その天衣無縫の飛躍力を駆使して生の一瞬一瞬を最大限に意味づける。早春の旅の途中ロストフ家に一泊したアンドレイは、その夜、階下から聞こえるナターシャの歌声に魅せられ、さらに翌朝、庭を遠く駆けて行く彼女の後姿をかいまみて、いままで知らなかった生の躍動を覚えた。ただそれだけのことで、生活の意義を完全に見失っていたアンドレイが、「人生はまだ終了していない」ことを実感する。往路に見た老いた裸の楢(なら)の木が帰路には勢いよく芽吹き出している。ナターシャとの出会いがアンドレイにもたらした心象の変化が、みごとにこの風景に描き出されたのである。
アンドレイとの婚約後、アナトーリの誘惑の魔手に落ち、衰弱死に近い危機の瞬間にあってさえ、戦争前夜の病めるナターシャはかえってピエールをして生への熱い思いに復帰せしめる不思議な力を発揮する。こうした彼女の存在に支えられて『戦争と平和』の無数の歯車が、ボロジノの決戦からモスクワの炎上を経て、やがてロシア民衆が農奴制の歴史的限界を乗り越えて解放戦争へと決起する国民的潜熱に連動して回転するのである。作者は、ナターシャにみとられつつ戦死するアンドレイには仇敵(きゅうてき)アナトーリをも赦(ゆる)す神の福音(ふくいん)を与え、やがてナターシャと結ばれるピエールには捕虜生活で出会ったカラターエフの農民的人生哲学を授け、マリヤと結婚して農地経営に成功するニコライには勤労の喜びを与え、アンドレイの遺児ニコライには社会正義の理想を植え付けた。これらの内容は、作者による登場人物の評価の基準が、ロシア革命の原点となるデカブリストの乱を展望しつつ閉じていくこの雄編の美学的な帰結とも深くかかわっている。
[法橋和彦]
『『戦争と平和』(米川正夫訳・全八冊・岩波文庫/工藤精一郎訳・全四冊・新潮文庫/北垣信行訳・全六冊・講談社文庫)』▽『本多秋五著『増補「戦争と平和」論』(1970・冬樹社)』▽『I・バーリン著、河合秀和訳『ハリねずみと狐』(1973・中央公論社)』
ロシアの作家L.N.トルストイの長編小説。1865年から69年にかけて発表された。1805年のアウステルリッツの戦から12年のモスクワ大火に至る,ロシアとナポレオン軍との戦争を背景として,ボルコンスキー公爵家とロストフ伯爵家両家の家族年代記を織りこんだ歴史小説である。この両家は作者トルストイのそれぞれ母方,父方の家をモデルとしているが,この両家を結びつけるのがトルストイの自画像であるピエール・ベズーホフである。トルストイの生命肯定の思想の具現化であるロストフ家の令嬢ナターシャが,アンドレイ・ボルコンスキーとの愛を経て,その死後ピエールと結ばれるまでの話を骨子として,ロシア貴族社会の生活の一大絵巻がくりひろげられる。ロシア国民の運命を描くという壮大な試みは,作者が自負するように,この作品を《イーリアス》にも比すべき叙事詩へと成長させたが,その根底にはトルストイの歴史哲学とナロード(民衆)の思想がある。皇帝や将軍ではなく,共通の目的のために結集したナロードの意志が歴史を動かすという考えである。ロシア軍の総帥クトゥーゾフ将軍と素朴な農民プラトン・カラターエフが,ロシアのナロードの知恵の権化として描かれている。日本では,森体の抄訳《泣花怨柳 北欧血戦余塵》(1886)をはじめとし,馬場孤蝶による英訳からの重訳(1914-15)を経て,米川正夫,原久一郎,中村白葉らによって相次いで翻訳され,また岩上順一(1946),本多秋五(1947)によるすぐれた論考が出ている。
執筆者:川端 香男里
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…パリに生まれパリで死去。《戦争と平和》(1919),《鉄路の白薔薇》(1923),《ナポレオン》(1927)の3巨編でサイレント映画の歴史に不滅の足跡を残し,〈映画におけるビクトル・ユゴー〉とも〈ヨーロッパのD.W.グリフィス〉とも呼ばれた。《戦争と平和》《鉄路の白薔薇》では32コマ(サイレント映写で2秒)から1コマまでの極端に短く刻んだカットを編集してせん光のような効果を出し,〈観客と映画とが一体となって興奮する一種発作的感情の激発〉(飯島正)をあおる〈フラッシュ・カッティング〉の技法を創始した。…
…1927年製作のフランス映画。《戦争と平和》(1919),《鉄路の白薔薇》(1923)に次いでアベル・ガンス監督がサイレント映画史に残した傑作として知られ,〈映画的効果の百科事典〉〈サイレント映画に可能なことのすべてを陳列して見せた絢爛豪華な大展覧会〉(ケビン・ブラウンロー評)とまでいわれるように,すばやく,たたきこむように短いカットをつないでスピード感を出す〈フラッシュ・カッティング〉や分割画面,あるいは軽量カメラを馬の背や振子にくくりつけての撮影等々,文字どおりあらゆる映画的技法が〈光の交響楽〉をつくりあげている。さらに3台のカメラで撮影した映像を3面のスクリーンに映写する〈ポリビジョン〉(または〈トリプル・エクラン(三面スクリーン)〉)と命名された映写方式がこの映画のためにガンス自身によって考案され,あるときは一つのイメージが三つの画面にひろがり,またあるときは三つのスクリーンに別々のイメージが映し出され,ラストのイタリア出撃のシーンをはじめ,いくつかのシーンで用いられて圧倒的なスペクタクル効果を上げた。…
※「戦争と平和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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