戦争画(読み)センソウガ

デジタル大辞泉 「戦争画」の意味・読み・例文・類語

せんそう‐が〔センサウグワ〕【戦争画】

戦争を主題とした絵画。事実を記録するためのもの、勝利の場面や英雄を描いて宣伝とするもの、反戦の意図をもって惨状を描くものなどがある。

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精選版 日本国語大辞典 「戦争画」の意味・読み・例文・類語

せんそう‐がセンサウグヮ【戦争画】

  1. 〘 名詞 〙 戦争を主題として描いた画。歴史上の偉大な英雄の行為をたたえるものと、実戦の情景を描いたものとがある。
    1. [初出の実例]「折柄日清の戦争画(センサウグヮ)、大勝利の袋もの」(出典:ゆく雲(1895)〈樋口一葉〉下)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「戦争画」の意味・わかりやすい解説

戦争画
せんそうが

戦争を主題にした各種の絵画。大別して、(1)戦闘場面を描いたもの、(2)戦争に参加した英雄や軍人を描いたもの、(3)戦争による被害を描いたもの、の3種となる。第一のものには、歴史画として扱われる作品もある。

 古代ギリシアやローマの浮彫りに先例がみられるこの主題は、ルネサンス以後、多くの画家によって一種の歴史画として描かれており、ウッチェロの『サン・ロマーノの戦い』、アルトドルファーの『アレクサンドロス大王の戦い』、レオナルド・ダ・ビンチの『アンギアリの戦い』などにおいて形式を整えた。その後、ルーベンスの『アマゾンの戦い』、ベラスケスの『ブレダの開城』、メソニエの『1814年』、グロの『エイローのナポレオン』を経て、さらにドラクロワの『キオス島の虐殺』において頂点に達する。

 戦争画は、単に戦闘の場面を描写するだけではなく、その惨状を暴露・告発する視点にたつことで近代的形態をとるに至るが、その源流としてプーサンドゥッチオティントレット、ブリューゲルらの「嬰児(えいじ)虐殺」のテーマによる諸作をあげることができる。ジャック・カロの銅版画『戦争の悲惨』、ゴヤの連作銅版画『戦争の惨禍』、同じくゴヤの油彩画『1808年5月2日』と『同5月3日の銃殺』に発する人間主義的な戦争批判の作品は、マネの『マクシミリアンの処刑』やアンリ・ルソーの『戦争』を経て、現代作家の諸作に、より鮮明な形で結実している。ドイツ表現主義の画家をはじめ、シャガールムーア、ミロたちにも注目すべき作品があるが、ピカソの『ゲルニカ』『朝鮮の虐殺』『戦争と平和』は、20世紀における最大の成果ということができよう。

 日本でも中世の絵巻の一群『平治(へいじ)物語絵巻』『後三年合戦絵詞(えことば)』『蒙古(もうこ)襲来絵詞』などにこの主題が表れて以来、さまざまな形で描かれてきたが、歴史画的な傾向が強い。また江戸時代の錦絵(にしきえ)には、過去の武将や戦闘を復原する武者絵という大衆娯楽的な形式が生まれている。近代以降には、歴史画として、また相次ぐ戦争の機会に現代作家による戦争画としても描かれる。とくに第二次世界大戦中には多数の作家がその制作に積極的に参加した。藤田嗣治(つぐはる)、宮本三郎小磯良平(こいそりょうへい)らの諸作が記憶されるが、近代絵画の一領域を形成するほどの芸術的成果を生んだとは考えられない。

[瀬木慎一]


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改訂新版 世界大百科事典 「戦争画」の意味・わかりやすい解説

戦争画 (せんそうが)

戦闘の場面や戦時における戦士や市民の生活を描いた絵画をいう。戦争画の歴史は古く,西洋ではすでにギリシア・ローマ時代に作例があったと推測され,ルネサンス以降は,ウッチェロ,レオナルド・ダ・ビンチ,ルーベンス,ゴヤらの作品が知られている。日本では鎌倉時代以後,平治の乱を題材とした《平治物語絵巻》などの合戦絵巻が描かれ,近世には《大坂夏の陣図屛風》など数々の合戦図屛風がつくられた。
合戦絵
 20世紀に入って,第1次大戦では大量殺戮の武器が登場するにおよび,コルビッツ,グロッス,ディックスらの反戦絵画が現れた。第2次大戦中の1937年,ナチスによるバスクの小さな町ゲルニカの無差別爆撃に憤激したピカソの《ゲルニカ》は反戦絵画の傑作である。また,第2次大戦中は各国で軍が美術家を戦争の記録や宣伝工作に動員し,ムーア,サザランド,シャーンなどは,その経験から作風の転機をつかんでいる。

 日本では明治以後,美術を政府の保護と統制のもとにおくための官展と,それに抗して表現の近代性と自由を求める〈在野〉勢力との対立が見られる。前者は権力にからめとられ,後者は社会から浮きあがってしまうというディレンマが,日本の戦争画の背景にある。日中戦争の勃発した1937年朝井閑右衛門が《通州の救援》を文展に発表したのに続き,同年末画家数人が志願従軍し,38年陸軍は有力画家十数人を戦地に派遣した。39年これら従軍画家が陸軍美術協会を結成し,陸軍報道部の支援をうけて勢威をもつと,それにならって海軍美術協会,航空美術協会,忠愛美術院などの御用団体が簇生し,40年大政翼賛会の傘下団体となった。太平洋戦争に入ると,陸海軍は中堅以上のめぼしい美術家を報道班員として戦地に動員し,作戦記録画と宣撫工作にあたらせ,42年横山大観を会長とする大日本美術報国会が発足した。43年結成の美術及工芸資材統制会が,配給権を独占して思想・表現の傾向により材料を割り当てたため,戦争画以外は制作・発表の道を断たれた。それらの戦争画は,白兵戦,野営,宣撫活動の場面に限られ,近代戦の様相とはほど遠く,日本の敗色が濃くなると描くこと自体が規制され,藤田嗣治以外は描けなくなった。第2次大戦後,藤田嗣治は日本美術会に戦犯画家と指名され,49年アメリカ経由でフランスに渡り,同国に帰化して死んだ。一方,占領軍が押収して東京都美術館におかれた戦争画153点は,日本美術家連盟の要望で51年アメリカに運ばれたが,70年〈永久貸与〉の形で日本に返還され,東京国立近代美術館に保管されている。これらは日清・日露以来の戦争画,戦時ポスター,従軍将兵のスケッチ,戦後の反戦絵画とともに,イギリスの〈戦争美術館〉のような施設に収蔵常陳されることが望まれる。
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百科事典マイペディア 「戦争画」の意味・わかりやすい解説

戦争画【せんそうが】

戦争の場面や戦時下の市民の生活を描いた絵画。西洋ではギリシア・ローマ時代より作例があり,日本でも鎌倉時代あたりから合戦画が描かれている。しかし近現代の日本美術史では,第2次大戦時に従軍画家を中心に描かれた戦争画を指すことが多い。国威発揚のために描かれたであろう数多くの作品は,敗戦とともに失われたが,戦後アメリカに接収された151点が現在永久貸与として東京国立近代美術館に所蔵されている。また広義には,丸木位里・俊夫妻の《原爆の図》,香月泰男の《シベリア・シリーズ》等,戦争について描かれた作品を含む。
→関連項目小磯良平藤田嗣治

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世界大百科事典(旧版)内の戦争画の言及

【藤田嗣治】より

…とりわけ《秋田年中行事太平山三吉神社祭礼の図》(1937)は,桃山・江戸初期の障壁画や風俗屛風の技法を取り入れた最大のものである。 1938年海軍省嘱託として中国に派遣され,以後,仏印(フランス領インドシナ)やマレー半島などをまわって数多くの戦争画を描き,聖戦美術展,大東亜戦争従軍画展などに出品。戦争画は記録性を重視するところから,それまでの画風と異なる重厚なマチエールを駆使した迫真的な描写の作品となっている。…

※「戦争画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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